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0710 晋三、お前は、もう死んでいる! 流水 2017/07/29 21:07:33
閉会中審査での安倍首相の表情があまりにも虚ろだった。目に力が全くなく、表情に生気もない。言葉だけは丁寧だったが、内容はすぐばれるような嘘の連発。慇懃無礼に嘘をつく典型的姿勢。これが一国の首相なのだから、日本国民はやり切れない。

何度も指摘するが、ファッショ型独裁政治を理想としている安倍政権は、基本的に主権者国民を完全に無視し、馬鹿にしている。そもそも、彼らの脳裏に、国民が「主権者」などという概念はない。「主権は天皇にある」という大日本帝国憲法が理想なのだから、「国民」が主権者だなど、馬鹿も休み休み言え、という話である。

お人よしの日本国民は、どうこう言われても、安倍政権は、民主主義を大切にしているだろうと忖度しているが、その気持ちが報われる事はないだろう。安倍晋三首相が、民主主義が大切だと言う時は、「価値観外交=同じ価値観を共有している国々(欧米各国)」の重要性を強調したり、対中国非難をする時が一番多い。もう一つは、選挙の時。要するに、「民主主義が重要」だと言えば、得する時である。

安倍ファッショ政権の特徴だが、民主主義のような重要な政治理念全てが「方便」=「意匠」に過ぎない。安倍首相の言葉の軽さの秘密は、全てが「意匠」=「方便」で、自らのレーゾンデートルを賭ける政治哲学・政治理念が決定的に欠落している点にある。

だから、「民主主義」という価値観を共有している国です、と外国で喧伝しておきながら、共謀罪法案の採決のような詐欺にも等しい非民主的行為を平気で行うのである。民主主義の理念を深く理解していたら、決して出来ない政治的行為でも平気で出来る。一事が万事で、安倍政権の発する言葉は、全てが「方便」だと考えなければ、必ず騙される。

今回の閉会中審査も同じ。「丁寧に説明する」と言うのは、口を荒らげたり、つっけんどんな答弁をしないで、「丁寧な口調」で答弁する、と言う意味。事実を具体的に細部にわたり丁寧に一つ一つ説明する、という意味ではない。

こういう詐術が安倍政権の特徴。結果はご覧の通り。きわめて「丁寧な口調」で慇懃無礼に嘘をついたと言う事である。

しかし、今回の問題は、安倍首相個人の疑惑の問題で、これまでのような小手先の「詐術」では通用しない。結果は、ご承知の通り。疑惑は解消されるどころか、膨らむ一方になった。「屋上屋を重ねる」と言う言葉がぴったりで、これからの安倍首相は、「嘘の上に嘘を上書きする」以外に逃げる術はなくなった。

「北斗の拳」風に言うならば、「晋三、お前は、もう死んでいる」情況なのだが、現実にはこの情況がこれからまだ続くと見ておかねばならない。

ここ数ケ月、あまりに多くの疑惑が論じられたので、きちんと整理しておかなければ、何が本質で、何が問題なのかが、分からなくなる。ここで大雑把に整理して見る。

(1)安倍昭恵夫人が、名誉校長に就任した森友学園経営の「小学校」が、国有地をただ同然で購入した問題。そして、「もし妻や自分や事務所が関係していたら総理も国会議員も 辞める」と啖呵を切った。同時に、森友学園前理事長籠池氏を悪人に仕立てた。

※この決断は裏目。籠池氏はきわめてメディア受けするキャラクターの持ち主で、証人喚問など屁の河童。逆に、安倍首相を窮地に陥れた。(百万円の献金疑惑など)さらに、安倍昭恵夫人のお付きの問題など、ワイドショウ的話題も豊富で、一気に疑惑が膨らんだ。

●国有地払い下げ問題については、新たな証拠が見つかり、告訴され、検察が受理している。
・・・
NHKは独自情報として、近畿財務局と森友学園の代理人との間で交渉を行い、実質タダとなる価格で払い下げ価格が決定されたと考えられると報じた。
森友学園が支払える金額の上限が1億6000万円でされた一方で、国が支払う土壌改良費が1億3200万円であるため、この間で払い下げ価格が決定されたとの経緯が報じられた。
こうなると、近畿財務局の行動は違法行為となる可能性が高く、佐川宣寿前財務省理財局長は国会において虚偽答弁を行った疑いが濃厚になる。
すでに大阪地検特捜部は刑事告発を受理しており、この問題が刑事事件に発展する可能性が急激に高まったと言える。
・・植草一秀 「知られざる真実」
http://www.asyura2.com/17/senkyo229/msg/690.html

ここで安倍昭恵夫人が事情聴取されれば、大問題になる事は必至。籠池前森友学園理事長夫妻については、おそらく逮捕拘留され、補助金などの不正受領疑惑で裁判にかけられるだろう。籠池氏が言っているように、見事な「国策捜査」だと思える。

(2)国家戦略特区を使った加計学園の獣医学部新設問題。
安倍首相は、国家戦略特区は、岩盤規制にドリルで穴を開けるもので、その選定過程に何の問題もないと胸を張ったが、文部科学省から次々と文書が発覚。首相の強弁に疑問符が付いた。さらに、文部科学省を退官したばかりの前川前次官が、加計学園の選考過程に異議申し立てを行い、「加計ありき」だったと証言した。

岩盤規制に穴を開ける?既得権益に風穴を開ける? では、「世襲」は既得権益ではないのか。加計学園は世襲そのもの。祖父の代に岡山理科大学を作っている。加計孝太郎氏の姉も、岡山県で大学を経営している。学校経営が一族の家業と言ってよい。

岩盤規制に穴を開けると息巻く安倍晋三の一族は、それこそ政治家が家業だと言って過言ではない。これこそ、文字通りの「既得権益」ではないのか。この自己矛盾について、きちんとした回答を聞いた事がない。

今回の場合、まずい事に、首相官邸が読売新聞を使い、前川氏のスキャンダルを書かせ、個人の尊厳や人権を著しく阻害する行為を行った事が、明らかになった。そこまで汚い手を使うのか、と多くの人の顰蹙を買った。

菅官房長官が、前川氏を「地位に恋々としてしがみついている」と評したが、前川氏の人となりがTVで知られるにつれ、全く逆の人間性が浮かび上がった。さらに、証言する前川氏の人品骨柄の立派な事、証言の真摯さ、理路整然とした分かりやすい説明。いずれを取っても、菅官房長官などが逆立ちしても、かなう相手ではなかった。

TVという媒体は怖い。話している内容そのものより、それを話している人間の真贋を情け容赦なく暴きだす。安倍首相も官邸も、今回出席した多くの官僚たちも、その点では、前川氏に完敗したと言ってよい。自分の信じる事を、心から、真摯に自分言葉で語る人と、そこらじゅうに配慮し、忖度して喋る人間とでは、最初から勝負にならない。人間「嘘をついては、駄目だ」という証左でもある。

(3)公文書保管問題⇒歴史に対する真摯な姿勢の問題。
今回の問題の本質は、安倍首相の「権力の私物化=大疑獄」にある事は論をまたないが、その他に決して忘れてはならないのが、「公文書」保管問題と「情報公開」の問題である。森友学園の時顕著になったのが、財務省が一件書類を全面的に隠蔽した事である。この矢面に立った佐川理財局長は、今回の人事で「国税庁長官」に栄転。メディアの指弾を浴びている。

この問題。多少、政治的、永田町的政治の裏読みをするとこうなる。財務省の積年の悲願は、消費税のアップ。これがようやく実現したと思ったら、安倍内閣の選挙勝利のために、二度にわたり延期された。財務省にとって安倍内閣を決して快く思ってはいない。そうは言っても、消費税増税を実現するには安倍首相の決断が必要。さらに人事を首相官邸に握られているのだから、表立っての抵抗は難しい。

その為、財務省は無理くりでも安倍内閣に協力してきた。その一つが、森友学園の国有地払い下げ問題でもある。ところが、それが大問題になった。ここで安倍内閣に全面協力をすれば、次は「消費税凍結」は言わないだろうという計算が働いても無理はない。

もう一つは、徹底的に「情報隠し」をすれば、当然メディア・国民の指弾を浴びる。この指弾=批判が厳しければ厳しいほど、安倍内閣の政権基盤は弱くなる。安倍内閣の政権基盤が弱くなればなるほど、財務省の協力が不可欠になる。そうなれば、財務省の意図が通りやすい。

わたしは、財務省の「公文書破棄」、「情報隠し」には、財務省幹部のこのような政治的意図が働いていると考えて間違いないと思う。端的に言えば、財務省の省益確保のために、「情報公開」という正論を無視したのである。財務省の抵抗は、文部科学省の公文書リークによる抵抗とは、明らかに次元が異なるものだと考えてよい。

※問題は、どちらがより国民のためになるか、という視点である。後世、今回の問題を調査・検討し、政治のありようとして参考にするのなら、当然、文部科学省のような(不十分だが)情報公開がなければ、そんな事はできない。

「公文書」とか「情報公開」というのは、このように、今の国民のためばかりではなく、後世の国民のためにある、というシンプルで、当たり前の原則を確認しなければならない。公文書は、官僚や政治家のためにあるのではなく、「国民の共通の財産」だと言う認識が重要になる。

森友・加計問題と言うのは、日本の政治の「私物化」=「腐敗の深刻化」の問題であると同時に、「政治の非歴史化」の問題であるという認識が重要である。

安倍晋三首相のような「歴史修正主義者」たちは、事実による歴史の検証を毛嫌いする。事実のよる検証を重要視しては、自分の思い通りの歴史が創造出来ない。だから、事実を隠ぺいしたり、消し去ろうと試みる。

今回の森友・加計問題は、この「歴史修正主義」の典型的事例だと考えなければならない。前川氏が「あるものをないものには出来ない」と語っていたが、まさにここに問題の核心がある。今回、政府が森友・加計問題を通じて、行おうとしているのは、まさに、無理やり「あるものを無いものにする」試みである。「真実の改竄」、「事実の隠蔽・改竄」、大きく言えば、「歴史の改竄」が、現在進行形で国民の目の前で行われているのである。

わたしたちは、今回の問題から、日本会議などの歴史修正主義者たちのやり口、発想を学び、検討し、それを粉砕しなければならない。そうしなければ、わたしたちの未来はないと考えなければならない。