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0672 『世界『最終」戦争論』を読む。 名無しの探偵 2016/12/07 23:16:52
今回のコラムは表題の著書であるカン・サンジュン氏と内田樹氏の対談(2016年6月刊行)を読む
というものです。副題は「近代の終焉を超えて」となっていますが、二人の対談は近代の100年(あるいは200年)を見据えたパースペクティブに立っており今回のコラムでは紙数が足りません。今日の守備範囲はフランスとアメリカの現在に触れる討論部分に限定されます。その理由は対談の扱う情報量の多さからです。
この対談集で最初に扱われたテーマはフランスでの
「パリ同時多発テロ事件」を受けてというものでした。
われわれ日本人はこのテロ事件はISなどの犯行であるとだけと思わされてきましたが、実際にはフランスの内部事情にも火種があったのだと気づかされました。

その本文での対談は、次のように述べられています。フランスに蔓延する「呪詛」という小見出しで、カン氏の発言によれば、「パリのテロ(2015年11月、サン:ドニ地区の商業施設で死者132名、負傷者300名以上)に関しては、やはり昨年起きた出版社銃撃事件(2015年1月)を含め、この10年くらいに起きたことを見ていると、フランスという国がかなり呪詛の対象になっているような気がしています。
 それを最初に強く意識したきっかけが、2005年に起きた移民系の若者たちによる暴動事件です。」
 また、カン氏はその後、NHKの取材でパリに行き、移民系の人たちが住む地区に入る。そこで、「60年代ころに建てられた高層住宅が老朽化し、地域全体が「移民」のゲットー化しているような場所です。」
こうしたテロ事件の背景となった「移民」(北アフリカのアラブの人たちが一番多い)の居住区で取材したカン氏とフランス事情に詳しい内田氏は(フランス)「国家から見捨てられた移民系の人々が、もしかするとテロ予備軍、自爆予備軍になっていくとしたら、今回のパリのテロへの対応が、ISの支配地域への空爆というやり方では、まったく問題が解決されない」という。
以上の序章に続き、第1章では「液状化する国民国家とテロリズム」となっている。
最初に「社会的上昇の機会のない移民系若者たち」という小見出しで討論は始まる。
 内田氏の次のような指摘が移民系の若者の置かれた立場を雄弁に語っている。「フランスはイスラーム移民を5百万人、つまり人口全体の1割近く抱えている。そしてこの1割の市民たちはフランス社会に適切に統合されていない。
 パリの郊外(バンリュー)と呼ばれる巨大なスラムがあります。イスラーム系市民はそこに押し込められている。そこで生まれた移民の子供たちは、社会的上昇の機会を制度的に奪われている。
「(カン・サンジュン氏)そうなんです。上に上がるチャンスがまったく閉ざされている。」
次の見出し、「収奪を尽くした植民地支配のツケ」
と題してフランス国家のこれまでの植民地支配の
ありようと現在のフランスの国民とくに知識人の
内面にも鋭く迫る討論になっている。
 「(内田)シリアやレバノンはもともとフランスの委任統治領です。フランスは、多分、今でもシリアを自国の『縄張り』だと思っているのでしょう。」「百年前にしたことの因果がめぐってきたのです。」「そういう罪の意識は多少はある。でも自分がテロに逢うのはいやだ。それが正直なところでしょう。(中略)そうやって、『フランス社会に居場所がない』と思っている人々を毎年十万単位で作り出しておきながら、一方では『テロを根絶』と言うのは無理だということは少し考えればわかるはずです。
 これからも中近東から何十万単位の難民・移民がヨーロッパに流れ込んでくるでしょう。彼らを受け入れて、社会秩序を維持するためには、これまでのやり方ではもう通らない。政教分離の原則を外して、宗教に対して公的に寛容な態度を示すしかないと思います。」
(注記;フランス国家の政教分離の原則は日本と異なり、キリスト教以外の異教徒が「私的に」自分の宗教を主張するのは自由だが、「公的に」主張することは禁止している。これは日本の基本的人権での憲法の解釈では理解できない独特な制度であると思われる。)
こうして、二人の討論はフランス社会の深部にまで
降りていき、フランス社会には実は二つの顔があるという。表の顔がフランス革命と「人権宣言」に見られる「自由・平等・友愛」の側面であるが、裏の顔はファシズムと反ユダヤ主義と移民排斥の暴力的な顔であるという。実際に「国民戦線」の党首マリーヌ・ル・ペン(極右の政党)は有力な大統領候補である。
 内田氏はこの裏の顔は有名なドレフュス大尉事件に根ざしており、これがきちんと総括されずに来ていて、反ユダヤ主義の系統に繋がり、第二次世界大戦におけるドイツの占領下におけるヴイシー政権によるナチへの全面的協力という負の遺産がいまだに
清算されていないことが大きなトラウマとフランス社会の大きな問題点(アキレス腱)であるとする。
内田氏はフランスは第二次大戦では「戦勝国」として振る舞い、国連でも常任理事国であるが、これは
おかしいとして、実はフランスは事実上の「枢軸国」であり、「敗戦国」でもあるという。これをほおかぶりして「敗戦の否認」を決め込んでいるところに問題があるというのだ。
そして、内田氏はフランスがカミューやサルトルのような知識人がいた頃は分かりやすいものいいで
まっとうな論理を展開できていたが、構造主義以後の「ポストモダン」の言説が流行してくると途端に「何をいいたいのか論旨不明」になってきたという。それもフランスが植民地支配の罪を反省せずに誤魔化そうとして、相手を煙に巻くような言説をこねくりまわしているからであると厳しく批判する。

今回はフランスのテロ事件と難民・移民に対する適応の拙劣さに触れた箇所に限定したが、次回はアメリカの情勢に触れる。ここでもカン氏と内田氏の討論は熱いものとなっている。
以上。