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0671 「土人」発言にみる沖縄への差別 2016/12/01 11:54:20
 大阪府警の機動隊員が、沖縄の人に向けて「土人」と発言した。当然、これは日ごろの差別意識が言葉となって表れたものだと私は思う。そうでない限り、人に投げつける悪罵としても、とても思いつかない言葉だからだ。

 菅義偉官房長官は、最初は「土人」発言を「許すまじき発言」と言っていたが、「差別と断定できないというのは政府の一致した見解だ」と変更した。「政府」は、「土人」という言葉に差別はないと一致して言うわけだ。

「これは個人的発言だから、その個人を問題にしても、そこから沖縄差別までは言えない」という意見もネット等では散見された。しかし、日本において沖縄の置かれている地位を考えずに、この「個人的発言」を、個人に帰してしまってよいのだろうか。

 米軍基地のある町を訪ねたことがある。「多少アメリカ風なだけで、何の変わりもない町」と思っていたら、突然の轟音に驚かされた。「何かあると、これが昼も夜も続く」と案内してくれた人の話だった。この騒音の中で暮らすのか…と、そのジェット機の凄まじい音を聴きながら、沖縄の人の苦難に思いを馳せた。

 ともかく日本にある米軍基地の74%が、日本全国の面積の0.6%しかない沖縄にある、という状態が異常なのだということを、私たちはもっと自覚しなくてはいけないと思う。

 米軍の占める土地、騒音、危険性、兵士の起こす事件…。「基地で儲かっている」と言う人もいるが、経済負担も大きい(『コストを試算!日米同盟解体』によれば、もし存在しないなら、基地の跡地利用で沖縄に1兆6000億円の利益が認められるという https://www.amazon.co.jp/dp/4620321427)。

 こうした負担を強いていることを、私たち日本人は沖縄の人に申し訳なく思っているなら、自分たちの負担を軽くしてほしい、これ以上、自然環境を破壊しないでほしいと行動している人たちに「土人」という言葉を浴びせかけるだろうか。

 米軍基地が日本に必要だと言うのなら、日本各地に分散させるしかない。削減するなら真っ先に沖縄の基地を減らしていくことだろう。

 太平洋戦争の沖縄戦で沖縄の人々を戦火に曝し、戦後70年余、米軍基地を押し付けておきながら、その犠牲を顧みることのあまりに少ない私たちの中に、そして政府にあるおごり、差別の温存を、「土人」と言う言葉は白昼に引きずり出したのではないか。

 その場にいた作家の目取真俊氏のリアルな寄稿文が出ていた。2ページにわたるが最後まで読んでいただければと願う。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/69392

 こちらは、翁長知事と菅官房長官の会談 冒頭発言の全文。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/12904

 翁長知事の「私は今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないんだということを強調しておきたいと思います。」はその通りだ。

「平和の緩衝地帯として、他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思う」。日本国全体がこうでありたいと願う。
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 なお、差別や偏見は、あらゆるところに存在する。性別、国籍、人種ことに肌の色、容貌、体型、貧困、障害、成績、職業、地域…これらに何一つ偏見や差別感を持っていないと言い切れる人は、無関心な人以外にないだろう。そして無関心は最も残酷な仕打ちだ。

 私の中にもたくさんの偏見・差別は存在する。「これって偏見だ」と自らハッとさせられたこともままある。差別する心、偏見を持つことは、人として「とても恥ずかしい」ことだと自らを戒める。