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0667 護憲派から改憲派へ、一つの回答 猫家五六助 2016/10/31 00:15:36
なだいなださんが創った老人党の掲示板で表題のような議論が行われている。その要旨は次の3点とのことで、「意見には個人差があります」という前提で私見を書いてみる。

(問1)9条に定める「戦争放棄や戦力の不保持」だけで日本が戦争を仕掛けられたり戦争に巻き込まれたりしないという根拠は?

【答】これは改憲派の率直な不安であり、「(他国から)丸腰で身が守れるか」と護憲派を攻撃する常套句でもあるが、私は単なる議論のすり替えだと思う。これを言い出したら、日本の警察官は丸腰で犯罪者を逮捕しなければならない。

 私は戦力ではなく「自衛力」は認める。だから、必要最小限の自衛隊は認めている。問題なのは、どこかのバカな首相みたいに自衛力(自衛隊)と戦力(軍隊)の区別がつかなくなる、線引きができなくなる輩が出てくることだ。だから戦力の前に外交力が大切で、不戦・話し合いという「姿勢」が重要だと思う。

 真珠湾攻撃の開戦で失敗したというのに、いまだ日本の外交力が情けないレベルなのを改憲派はどう考えるか。積極的平和主義という言葉遊びの方が馬鹿げていると思うが。

 私だって、犯罪者に殺されるまで無抵抗でいるほどバカじゃない。しかし、常にポケットにナイフや拳銃を忍ばせ、怪しいと思う人間が近寄ってきたら取り出して威嚇し、「オレに手を出したら、倍返しだぞ!オレが正義だ」と威張るようなバカでもない。ましてや相手が拳銃を持っていたら負けるので、次はマシンガンを持ち歩こう。それが現実だ・・・という大バカでもない。それがチキンレースとなり、軍拡競争やキューバ危機につながったことを思い出してほしい。

 基本的に自分と他人、当家と隣家、自国と他国の関係に違いはないと思うのだけど。

(問2)「日本が第2次大戦後、戦争をせずにこられたのは、日米安保体制や自衛隊の存在のおかげ」という改憲派の意見をどう思うか。「〜のおかげ」でないなら、日本が平和を維持できた理由をどう考えるか。

【答】戦争をせずに(戦争にならずに)済んだのは、日米安保体制や自衛隊の存在の前に「憲法9条があった」おかげである。

 旧ソ連軍機が頻繁に日本を領空侵犯していた頃、自衛隊機は「武装して」度重なるスクランブル発進で対応していた。しかも「絶対に引き金を引いてはいけない」というルールで。憲法9条の縛りがなく、米国のマネをして威嚇射撃をしていたら、どうなっていたか。他国間ならば容易に撃墜事件⇒外交問題⇒紛争に発展していただろう。

 しかし、自衛隊パイロットは侵犯機から攻撃される恐怖と闘いながら唇をかんで見送った。原則は「抜くな、向けるな、弾を込めるな」ということ。これが平和憲法下で運用される「専守防衛」自衛隊のプライドだった。そのための訓練を黙々と繰り返してきたが、「それじゃ、空しい」と考える自衛隊内外の論調が怖い。

 特に「専守防衛」看板をいとも簡単に一政権が外してしまう怖さを、改憲派はどう考えるか。

(問3)日本の近隣には核武装を進める北朝鮮や、南シナ海や東シナ海で覇権をうかがう中国がいる。こうした国々の覇権主義的な行動を止めるには、対話のほか、抑止力として一定の軍事力も必要ではないのか。

【答】「一定の軍事力」は認める。しかし、「一定」とはどれほどか。一定の軍事力で覇権主義的な行動を止められるのか。「一定」が仮想敵国との比較で決まるなら、「日本も核武装をすべき」となる。それで覇権主義的な行動は止められるのか。その行く末は改憲派もおわかりだと思うが。

 そんな「一定の軍事力」よりも、日本には超一流の情報収集力・外交能力が必要である。単にイージス艦を導入したり外遊して数千億円をバラまくのは全くのナンセンス。要は「活きた使い方(運用)」ができる政治家が軍事力よりも重要である。

【まとめ】改憲派はなぜ、憲法9条を刹那的にとらえ、単なる文言や「神風を呼ぶ呪文」と考えるのだろう。70余年前、終戦で安堵し反省した日本人が「過ぎた武力を持つから、権力者が持つから使いたくなる。相手に引き金を引かせるように暗躍したくなる。まず、殺し合いよりも話し合い」と考えた結果が平和憲法ではないのか。東京新聞の直近の記事によれば、「米国の押しつけ憲法」という改憲派の主張も明確な事実誤認である。

 「今の時代に合わない」などと日本国憲法を軽んじる前に、当時の日本人全体が「もう戦争はこりごり」と悟って生まれたのが日本国憲法(とりわけ憲法9条)だと、改憲派は胸に刻んでほしい。今の時代を憲法に合わせる努力をしてほしい。「戦争にならないための議論」は、そこから始まる。

 当然、平和憲法を直視せず曲解する政治家、民主主義や立憲主義に無知・無恥な首相は論外である。