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0666 真の民主主義者平尾誠二(ミスターラグビー)の死 流水 2016/10/21 16:53:02
平尾誠二氏が死んだ。享年53歳。如何にも早すぎる死である。

わたしが本当の意味で、ラグビーファンになったのは、平尾誠二氏のプレーと彼のラグビー理論を聞いてからである。

昨年のラグビーワールドカップでの日本チームの活躍も平尾氏の先見性が下地にあったからできた、と言って過言ではない。日本ラグビー界にとって、平尾氏の存在は、それくらい大きかった。

各新聞で平尾氏の功績は詳細に書かれているので、ここでは繰り返さない。わたしは、新聞とは、別の視点から平尾氏を評価したいと思う。

平尾氏は、泣き虫先生として有名になった山口良治監督率いる伏見工業出身。花園で行われた全国大会でSO(スタンドオフ)として活躍し、全国制覇を成し遂げ、一躍スターダムにのし上がった。

わたしは、大学卒業後京都で高校教師だった時期があるのでよく知っているが、当時の伏見工業の評判はあまり良くなかった。山口良治監督は、この高校の立て直しをラグビーを通じて行ったのである。この話は有名で、TV番組「スクールウオーズ」のモデルになったほどである。ここまでは、多くの人が知っている話である。

わたしが注目しているのは、平尾氏が進学した同志社大学のラグビー部時代の話である。

当時の同志社大学ラグビー部監督『岡仁詩氏(1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、日本の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表監督。日本ラグビーフットボール協会理事。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。同大FWで活躍。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。』ウィキペディア

この岡仁詩氏、軍隊時代の経験から、強権的な指導が大嫌い。非常に民主的な部活動指導・運営を行った事で有名である。同志社の学風と相まって、同志社ラグビー部の独特の文化を創り出していた。

『監督当時、明治大学ラグビー部監督の北島忠治から「もっとFWを鍛えないと、チームは強くならないよ」と言われて以来、FW重視のチームを作り、関西最強のラグビーチームを作った。ただし基本は選手の自主性を重んじたチーム作りであり、型にとらわれないプレースタイルが選手たちの個性に当てはまったときの強さは、前述の3連覇時のように大学界で無敵、社会人相手にもひけをとらないほどであった。』ウィキペディア

平尾誠二という類まれなラグビー選手を生み出した秘密は、岡監督の「選手の自主性を重んじたチーム作りであり、型にとらわれないプレースタイルを奨励」した賜物であろう。

平尾誠二の前、日本ラグビー界を牽引したスターは、明治・新日鉄釜石で活躍した松尾雄二。スタンドオフとして活躍した彼の奔放なプレースタイルは一時代を築いた。その彼が、平尾誠二のプレーに脱帽していた。

松尾曰く「野球でノーアウトで一塁にランナーが出ると、大抵の日本の監督はバントのサインを出す。それと同じで、ラグビーにも様々な約束事がある。それを無視したプレーをすれば、あいつは何している、と仲間や監督から指弾される。松尾の時代はそうだった。
 ところが、平尾は違った。平尾がいうには、約束事を無視したプレーをする仲間がいたら、その動きに合わせて仲間がフォローする。そうしないと、日本のラグビーは世界に遅れる、と」

松尾雄二は、平尾のラグビー観は、常に世界を見つめ、時代の二歩三歩先を歩いていたという。

同じ事を、伏見工業・同志社・神戸製鋼と平尾と同じ道を歩いた大八木選手が言っていた。「日本のラグビーが今やっと平尾に追いついた」と。

わたしは、十年以上前「百足の歩み」というラグビー論を書いた事がある。「百足の足は、何故別々の動きをしないのか。それは前の足が歩み始めたら、後ろの足がそれをフォローするからだ」という動物学の話から、平尾誠二の理論「前の仲間が意表を突くプレーをしたら、それを責める前に、その仲間のフォローに走れ」を説明したものである。

当時のわたしの脳裏には、仲間に同じ事を強要する圧力(同調圧力)こそが、いじめの温床であり、日本社会最大の欠点だという認識があった。平尾誠二のラグビー理論は、そこを超える新たな地平を切り開いていたと思う。

昨年のワールドカップの日本代表選手の顔ぶれを見れば一目瞭然だが、日本に帰化した外国人選手が多数いた。マイケル・リーチ主将もそうである。

実は、外国人選手を多数日本代表選手に抜擢したのも、1997〜1999の平尾誠二が全日本の監督時代からだった。今でこそ、当然と思われる事だが、当時平尾は外人を入れるなど日本代表チームではない、という批判を受けていた。

昨年のワールドカップですら、ヤマハの清宮監督などは、外人選手が多すぎるという同じような批判をしていた。しかし、清宮監督もワールドカップの結果を見て、自説を撤回したようである。

事ほどさように、平尾誠二の先見性は、群を抜いていた。ラグビー界にとって、本当に惜しい人材を失ったと思う。私にとっても、畏敬すべき存在だったので、残念至極である。

謹んで冥福を祈りたいと思う。合掌。