呼出完了
0659 一橋大学ロースクールで起きた事件を見て思ったこと 見習い期間 2016/09/11 21:46:39
 先月、同性愛者であることを同級生によって友人グループに明かされた後、建物から転落死した一橋大学大学院の男性の遺族が大学と同級生に損害賠償を求める訴訟を起こしたというニュースが、マスメディアやWeb上で報じられた。私はこの報道に接した際に様々な思いが頭の中をよぎり、意見として述べたいことが今もたくさんある。最も言いたいこととしては「優秀ではあるが人間に対する優しさを欠くエリートたちが起こした事件」という形に一般化して風化させては絶対にいけないということをはじめに強く主張しておきたい。
 これは「優しさ」「思いやり」を持たない人間たちが起こした事件ではない。国立大学という機関に所属する人物たち、ましてや同級生は法曹を目指す者たちが集う専攻に所属していたにもかかわらず、セクシャルマイノリティに関する現在の日本の状況を全く理解していないことが浮き彫りになったのだ。
 まず問題となるのは大学側の対応だ。対応というよりはまともに取り合わなかったという方が適切かもしれない。大学側は亡くなった学生はゲイであると自認していたにもかかわらず、「性同一性障害」を専門とするクリニックへの受診を勧めていた。同性愛は性的指向の問題であり、性同一性障害を含むトランスジェンダーの問題は性自認の問題である。保健センターやハラスメント相談室、大学のカウンセラーがこのような最低限の知識を理解せずに誤解をしているのだとしたら実に忸怩たる思いだ。
 男子学生がゲイであることを本人の承認も得ずに公表したという同級生の行動は人の命を十分に奪いうるものだ。2016年現在においても個人のセクシャリティーは公開を欲しないようなものであり、法的にも保護されるプライバシーのひとつである。また、現在でもゲイであるということが勝手にアウティングされることにより、当人が差別を受ける、いじめやからかいの対象になる、進学や就職などの進路にも悪影響を与えてしまうことは想像に難くない。職場、学校、地域で実際にこうした事例は枚挙にいとまがないほどだ。したがって、自らがゲイであるということは、信頼している人物でもなければ話すこともためらわれるだろう。プライバシーの権利について当然勉強しているはずの法科大学院の学生たちがこうした事件を起こしてしまったということは何とも皮肉である。そもそもの問題として、法曹を目指す者が守秘義務への耐性がないということならば「法曹に向いていないのでは? 」とも考えてしまう。
 この事件が報じられただけでもまだ状況としては悪くはないのかもしれない。しかし、弱者を切り捨て、少数者のことは考慮に入れない、個人を集団の側に合わせようとする安倍政権の姿勢と若きエリートたちがこうした形で仲間を死に追いやったということが背後ではつながっているように見えて仕方がない。性的マイノリティーへの誤解、無理解、黙殺、なによりも異性愛こそが正常であるという再び強固にされつつある社会通念がこの社会には今もなお横たわっている。