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0654 袴田事件の現在 名無しの探偵 2016/08/16 21:17:01
袴田さんが静岡地裁の再審決定により拘禁を解かれ
姉の家に落ち着いたニュースは全国を駆け巡った。2014年3月27日のことである。
あれから2年半近く経過するが以前として再審は開始されていない。検察が再審決定に対して即時抗告という手続きで再審に待ったを掛けたからである。
こうした反撃は許されるのだろうか。確かに形式的には即時抗告という対抗手段は法律上は認められる。しかし、実際上静岡地裁でも問題にされた「捏造疑惑」そればかりか逮捕時の強制自白や一年後に突然提出された味噌蔵からの衣類5点、これが捏造疑惑の対象であるが、こうした捜査の違法を犯しておきながら「即時抗告」は許されるはずもない。
そうした禁じ手の数々がありながら再審請求を開始しない裁判所(最高裁の判断が大きく影響しているはずだ)は司法権力を正当に行使できない国家機関に堕している。
袴田事件の具体的な説明はここでは省略するが、袴田事件に至る戦後史の闇は深い。
最初の闇の始まりは「帝銀事件」の裁判に存在した。この事件では当初容疑者は旧陸軍731部隊の元隊員(とはいえほとんどは医者)に絞られていた
それがGHQの横やりで捜査は中止。仕方なく周辺にいた画家の平沢を「身代わり」犯人として法廷に差し出したのである。
この「帝銀事件」の手法;パターンが後の捜査手法に取り入れられたというのが私の推論である。推論とはいえ非常に蓋然性の高い推論である。
真犯人を短期間で逮捕できないときに全国の警察は
この「身代わり」を挙げる。特にその捜査手法が目立ったのは静岡県であった。これは冤罪事件に詳しい作家や弁護士などに指摘されてきた。
身代わりにされた被告人に証拠がなければ捏造する。
こうして静岡県では冤罪事件のデパート・工場などとささやかれてきたのである。
日本の司法がこうして機能不全を来してきたのは警察・検察の責任とばかりも言えない。一番の責任所在はやはり裁判所である。被告人の人身の自由や刑事裁判における被告人の権利を守るのは裁判所であるからだ。
無罪推定の原則や自白の強制があればその違法性を
確保する。こうしたことは実際何一つやってこなかったのが日本の裁判官である。
再審にならなければ被告人の冤罪が認められないというのもおかしな話である。
そして被告人の最期の砦である「再審」さへも袴田事件ではまだ門が開かれていない。
6月に袴田事件の映画「夢の間の世の中」を観た。
この映像で興味深かったのは袴田さんの拘禁反応(精神病の一種)から徐々に解放されて人間らしさを取り戻すリハビリ過程が丹念に描かれていたことである。また、姉の秀子さんとの二人三脚の戦いが
涙なくしては観ることができないほどの映像力があり、2時間があっと言う間に過ぎてしまったことである。もし機会があればあと3度は観たい映画だった。
以上。