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0635 災害と日本人、そして選挙の年に思う事 パンドラ 2016/05/02 19:04:28
その国の国民があまり政治に関心を持たなくても、選挙の時の投票率が低くても、大きな不満も抱かず何とか生活が成り立つ国に住んでいる人達はある意味で「幸せ」なのだと思う

戦後の高度経済成長の頃から一定数の日本の国民はそうしていきてきた。
あの頃は政治にあまり関心を持たなくても
「お任せ民主主義」でも何とか生活が成り立って来たのだ「難しい事は御上にお任せ、あたしゃ金儲けと生活のことで精一杯」
と言っていても、戦争に駆り出される事もなく家も土地も財産も土足で踏みにじられたり強奪される事もなく生きてきた(沖縄等国の政策上、乱暴な仕打ちをされる地域もあったが)

しかしこの「幸せ」がいつまで続くだろうか。
そろそろあちこちで綻びが出始めている。

5月2日現在の今
テレビは各地の行楽地の様子を映し、あいも変わらず温泉とグルメの話題ばかり。
私も温泉好きですよ。食べることも大好き。
だけどやはりこれはおかしいと思う。
福島原発事故は遠い昔の出来事にされ熊本大震災からまだ二十日も経っていないというのに、既にニュースは大きな扱いをしなくなっている。
住まいを奪われ帰る土地も無くし立ち竦む人々を目にしながら、GWだ、オリンピックだ、とはしゃぐ人達がいる。

私は原発事故の影響で住まいと故郷を無くした人達、熊本大震災で避難所生活を強いられている人達に国が(原発事故は東電も)援助の手を差しのべて、本当に安心して暮らせるようになるまでオリンピック関連事業は凍結したらどうかと思う。
それでオリンピックの開催時期に間に合わなければ中止もやむ無しと考えるべきではないか。

オリンピックを中止しても国民の生活を守る。

私はそんな政府だったら両手を挙げて支持したい。

これから先々日本の何処かでどんな災害が起きないとも限らないあなたが住んでいる街かも知れないし、私が住む土地かも知れない。
何とかサミットだ、国連何とか会議だ、オリンピックだと
その時この国の総理が国民ではなく、外にばかり目を向けていたらどうだろう。
私達はいつでも、誰でも棄民される可能性中に生きている。

国民の関心が政治から離れていけば為政者は自分達を支持してくれる人達、自分がやりたい事だけを最優先させて、福祉
国民の生活に関わる事は永遠に実行される事はないだろう。

でもまだ遅くはない。今年は参議院選挙がある。
棄権するのは正に権利を棄てること。
白紙委任状で「どんな政治家が好き放題やっても文句はいいません」と誓うのと同じ。
「どうせ国民は直ぐに忘れるから」とか「家で寝ていてくれればいい」とか酷く舐められたものだと思う。

政治家にとっては、選挙に棄権して政治に興味を示さない人達などいないと同じ。透明な存在にされてしまう。

だから少なくとも得票にだけは行こう。
テレビのバラエティーでコメンテーターが
「自民党も良くないけど野党がだらしがない。対案も出せない野党の体たらくはみるに耐えない」
(だから誰に入れても同じだよ〜)等と分けの分からない投票に行く気を削ぐようなコメントばかり吐いていたとしても
投票には行こう。

今回の国政選挙は
日本という国が原発だらけの国に戻り
武器をバンバン海外に輸出して、自衛隊も輸出して
働いても働いても、消費税は上がり給料はちっとも増えないのがあたり前に国になってしまうかの未來がかかっているのだから。