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0601 Re: 護憲コラム 百山 2015/08/24 12:26:39
 振り返って見れば、もう70年も過ぎたのか。
 
選択の余地、まったくなしの「狂気の日々」に、それぞれが息をひそめて何を思い暮らしたか。

 外に出れば皆一様に「鬼畜米英」を言い、「神国日本」を唱え合ったが、戸を閉ざした中では口外無用と強く戒められながら、「もう駄目、ベニヤ板の飛行機や竹竿しか残っていない」の悲痛。

 だが、「あの日」から、「命は一人一人のもの」と180°成り変わった「希望の日々」となった。

 「希望の日々」。
 言葉は良いが「狂気」の置き土産を引きずりながらの「復興・常態化」に、人々はどれだけの辛苦を背負ったか。
 もう二度と繰り返してはならぬ「狂気の日々」である。

 だが、この丸い星の上では、諸事丸く収まらぬ、いや、収めたくない成り上がり願望に憑りつかれた者たちが後を絶たず、あちこちでいさかいが引き起こされている。

 おお、よくぞ言った。成り立ちにかこつけてのいささかの異論ありと言えども、さすがその「平和憲法」の護持・順守を誓ってその座に就いた宰相。

 「積極的平和主義」なる旗を掲げ、創世主のごとくこの星を俯瞰し各地を駆け巡ると宣言して、その数早や50を超えた。
 この間の成果や如何。囚われ人となった邦人二人の命も救えず、掲げた「旗」にひれ伏す姿すら見せず、こともあろうに、その国においてもそうであろう「最高機関」たる議会において、「武力使用を可能にする国内法案」を成立させるとの所信表明。
 何をかいわんやである。
 授けられた命は各人に一つだけ。その他大勢のためにお前のそれを差し出せと言うは、それこそ最大の「利己的考え」というべきであろう。

 「あなたの命同様に私の命も扱って」。
 これこそが命あるものすべてが心に置くべき基本の基であって、生まれ出た者に注ぐ慈しみは、言外にこのことを傾注していると言うこと。
 これが地上すべての命あるものに授けるべき教えであろう。

 私事ながら、小生 これまでに四度この宝物を失いかねない事態に遭遇した経験を持つ。
 その第一回目が、戦争末期の8月初旬。
 校庭へと続く道を歩いていた時、近づいて来る轟音。すぐ「敵機」と判る。もう自分たちの空を飛ぶ日の丸を着けた飛行機はなかったから。
 夏。曲がりなりにも白いものを身に着けているから、「標的」がそこにあるようなもの。しかし、伏せる。
 目の前2メートルあったかどうか。機銃掃射の土埃が右から左へと走り、その先 悲運。校舎2階の窓から身を乗り出して天を仰いだ教師を直撃。
 窓枠に折れるように腕を下げ、即死であった。

 「機銃掃射の土埃」の残影は、舗装など無縁の田舎道に降り注ぐ驟雨の、最初の何粒かが立てる土埃に重なって蘇り、身震いしたものである。

 人が人を殺す。その最大規模は「戦争」である。その愚は、経験せずとも「想像力」によって自得し得るもの。
 「積極的平和」のために、世界に向かって実のある発信ができる国に一歩でも踏み出して欲しいものであり、各地で示される「民意」を、聞きかじった「利己的」なる言葉で押しやるような「選良」は、その任に適わぬとする主権者の溢れいる社会への成長を、いまだに夢見ている。