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0593 プラハから日本の政治を眺める 笹井明子 2015/06/29 21:45:14
夫の仕事に同伴してチェコ・プラハに来ています。世界で最も美しい町と言われるプラハは、立ち並ぶ建物の調和もさることながら、町並みの清潔さが際立っていて、観光するのも快適です。観光客が集まる広場や有名なカレル橋にはストリート・ミュージシャンが出て、質の高い演奏を聞かせてくれます。行き交う人たちは、老いも若きも、みな穏やかな笑顔をみせています。

でも、近代史を振り返れば、チェコ(チェコスロバキア)はナチスの侵攻や第二次大戦後の旧ソ連の介入と共産党一党支配の時代を経験し、1968年に若者を中心とした民主化運動「プラハの春」が起きており、そのことをプラハの人たちは決して忘れていないようです。舞台となったヴァーツラフ広場には抗議の焼身自殺をした学生ヤン・パラフの墓碑が残り、今も花や蝋燭が手向けられています。

町の片隅にある「共産主義博物館」に行くと、シネマコーナーがあって、「プラハの春」から「ビロード革命」までの実録ビデオが放映されていました。それを見ると、無抵抗で意思表示をする若者達に、棍棒を持った警官が襲い掛かり、容赦なく叩きのめす生々しい様子が映し出されています。殴られ、引き摺られた人々が血と涙を流す映像と共に、「私達は自由と愛が欲しいだけなんだ」というような歌が流れて、その悲しさ、悔しさが胸に迫りました。

翻って、今の日本の状況に目をやると、自民党関係者のおぞましい言動と、その対極として、大学生を中心とした若者たちが、全国で立ち上がり声をあげている清々しいニュースがインターネット上に流れてきます。

彼ら若者の湧き上がるエネルギー、真摯な問い掛け、真っ直ぐな意思表示は、「プラハの春」の若者と通じるものがあり、感動と頼もしさを感じる一方で、権力は最終的に抵抗する民衆に向かって棍棒を振りかざす、それは沖縄の反基地闘争ですでに証明されつつある、ということに一抹の不安も感じもします。

安倍首相は、自民党や現政権への噴出する批判に目をつぶり、例え国民から支持されなくても、最終的には数の力を頼んで「安保法制」=「戦争法案」を強行採決すると嘯いています。そうであれば、国民は何らかの形でこの政府と激突せざるを得なくなるでしょう。

そんな緊迫する現状にあって、権力による暴力の悲劇を招かない道はあるでしょうか。

希望を持てる唯一の方向性は、元気な若者を始め心ある老若男女が今の調子で最大限NOの意思を可視化する行動を続けることからスタートするのだと思います。

それによって自民党が動揺し更に馬脚を現し続け、その結果、多くの国民が自民党の愚劣さ、危険性に気付き、無自覚な支持をやめ、投票行動に結びつける。国民のそういう意識変化の拡大を拠り所として、野党が迷いを捨てて「戦争法案」を廃案に持ち込むために真っ直ぐに進む、といったことでしょう。私たち1人ひとりの責任は重大です。

「プラハの春」から20年後におきた「ビロード革命(無血革命)」は、「プラハの春」によって生まれた「自由を求める機運の脈々たる流れ」が基盤となって齎されたといいます。

今の若者達の理知的でファッショナブルな運動が、「平和と民主主義を求める」脈々たる機運を醸成し、平和裡の「安保法制」廃案、安倍政権退陣に繋がる可能性に、大きな望みを託したいと思います。

数日前に『5年生の娘のクラスで保健体育の授業で先生が「今、何か心配な事がありますか?」と聞いたらクラスの半分以上の友達が「日本が戦争するか心配」「これからの日本が心配」と言った』というツイッターが流れてきました。

広々とした芝生で思う存分走り回って伸び伸び遊ぶプラハの子供達の明るい表情をみるにつけ、日本の政治を真っ当な方向に修正し、子供達に無邪気な時代を取り戻してあげたいと、心から願わずにいられません。