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0574 子供たちが温かく育まれる社会を 2015/03/04 01:23:37
中学1年の少年が河川敷で殺された事件は、あどけなさの残る顔をテレビで見るたびに、胸が痛む。

被害者の少年の家庭は母子家庭。朝早く家を出て、夜遅くまで働いていた母親は、不登校になっているわが子から、ゆっくり話を聞く時間もなかったという。私も忙しい仕事についていたため、大人になった息子から「話したいときにいなかった」と言われた。この母親は生活費を稼ぐだけでも精一杯だっただろう。

一方、加害少年は「不良少年」グループと言うより「弱い子の集まり」とも言われている。ここに至るまでには、どんな環境で育ったのか、周りの仲間や大人たちから、どんなふうに遇されてきたのか。

犯した罪は余りにも大きく、簡単にそれを環境のせいとは出来ないが、この行為に至ってしまう成長の過程を、大人の力で、何とかしてより良い方向に導けなかったのか。この事件はこれから解明されていくだろうから、ここでは事件から離れて考えてみたい。

私は毎月、精神障害の当事者さんたちの話を聞く機会があるのだが、驚いたのはその中に「可愛がられなかった」ばかりか「殴られて育った」と言う人が少なからずいること。もちろん全員ではないのだから、短絡的に考えてほしくはないのだが、子供時代の痛みは、大人になってからでも心の痛みとして出てくることがあるのだと、つくづく思う。他者への信頼を築く子供時代を、虐待や放任、そして怯えの中で育つのがどんなに酷なことか。

子供が親の所有物化して、社会で見守って育てる要素が減ってはいないだろうか。都市では道で遊ぶことは不可能だ。子供が群れる光景は、学校や塾やお稽古事の場所ばかり。子供自身が築く社会経験の場が減って、喧嘩の手加減を学ぶこともなくなった。子供が何か悪さをしても、注意すると拙いのではないかと躊躇う大人が多い。

子供は徐々に親から自立して、自分の考えを持って大人に育っていく。その準備期間中はたくさんの大人や子供に接して、自分自身を作り上げていく。不幸にして親がいない子供、親に愛されない子供にも、親に代わって気にかける人、愛情を注ぐ人が必要だ。

大人、そして社会が希望をもって働いて家庭を築いていく姿を、子供たちに見せているだろうか。仕事の面白さや苦労を越える喜び、家庭を大切にする思いを伝え、政治への関心、自由とは、人権とは何か、民主主義とは何かを語り、家庭を閉じていないで周りの人たちとつながっているだろうか。

そして子供を育てている家庭に、私たちは温かい大らかな気持ちで接しているだろうか。妊婦に優しいか、乳幼児の泣き声や行動に寛容だろうか。

また、母子家庭の収入は200万円以下が70%ともいわれ、父子家庭は300万円を少し超えるが、医療費が母子家庭よりかかっており食費なども多いことだろう。このことも心に留めたい。

子供が安心して育つ社会は、大人にとっても暮らしやすい社会。競争社会でなく格差を減らす努力、協力して暮らす社会へ…。