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0566 「日本近代史」を歩く(続) 名無しの探偵 2015/01/06 21:18:56
自由民権運動の歴史を2年間に渡りリサーチしてきたが、この2年間で分かったことがある。日本近代史の定説と言えるものがないこと、通史的な著作も
少ないことなどの疑問が(私的に)沸き起こったことである。
確かに、著作はあることはあるが、概説書にとどまり、疑問は残った。

この疑問に答えている歴史家は少ない。具体的には
明治憲法の発布があった1889年を画期として明治近代国家体制が成立したとすると、その体制を支える基盤となった制度(というか要素)に@「寄生地主制度」A官僚制(軍隊など)B財閥などの産業
組織が一応あげられる(異論もありうる)。

この制度の歴史を実証的に説明しているのが石井寛治氏(「日本経済史」第2版東大出版会)である。
それによると、明治17年(秩父事件が起きた年)までの農民層の困窮化で土地を失った農民は30万人もいた。それらの土地を集積したのが寄生地主である。その結果、明治国家の財源の大半は寄生地主の資本:税金で賄われた。ここに寄生地主制度が確立する(明治20年代)。

石井寛治氏は「天皇家は、日本最大の寄生地主:ブルジョアジーとして巨大な資産を有することになり、政府・議会に対する天皇の優越性はここにその経済的根拠を確立」という。それは巨大な「皇室財産」の成立を前にして石井氏が表現しているのである(頁170)。

こうした石井氏の分析から明治国家が「四民平等」
を宣言していること、どの教科書にも記載されていることが大きな疑問にもなってくる。
石井氏は同書で、天皇制を支える支柱の一つである「華族制度」を同様に説明するが華族令の制定とその改正によって華族は莫大な資産を国から得たとしている。
そのほとんどが寄生地主であり、貴族院の議員でもあったという。「四民平等」など建前以下も同然であろう。その莫大な資産の状況は中村正則氏が詳細に分析している。
財閥資本に関しては同書に詳しいがここでは省略して、次の「疑問点」に進もう。

大分前から日本近代史および現代史の問題で疑問なのは、山内氏という歴史家が10年前くらいに主張したことである。それによると「戦後改革の結果として農地解放、国民皆保険などの民主化と平等化が進んだとこれまで言われてきたが、そうではなくそれは総力戦体制の中で革新官僚などの改革で実は
行われたものである」(総力戦プロジェクト論)
という。

この主張が現代では多数説になっているが、総力戦体制(大勢翼賛の大きな目玉)を評価するこの通説には大きな疑問がある。これをきちんと批判しているのが坂野潤治氏(「階級の日本近代史」)であり、それによれば、
ここに記されている「世界大事変」が、4年後の太平洋戦争を予期したものと見ることに、異論はないであろう。
少なくとも37年9月には5万人の読者が入手できた武藤の「総力戦」の未来図に、全く考慮を払わないで日中戦争を泥沼化させた近衛内閣が、「総力戦体制」によって社会的な「格差」の是正につとめたと言われても、筆者(坂野氏のこと)は雨宮氏のようにその面だけを肯定することができない、という。
ここで雨宮氏というのは「戦時戦後体制論」(岩波書店)を書いた著者のことを指す。

こうしたおかしな(安倍政権と一脈通ずる)結論が突然、出てくるのも日本の「近現代史」が実はあまりきちんと実証されていないからではないだろうか。
近代史の謎は深まったとも思えるのだ。