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0564 みんなで考え、みんなで決める 原発も集団的自衛権も 2015/01/02 17:29:27
今、上映中の「みんなのアムステルダム国立美術館へ」という映画。2004年に始まり、2008年に終わるはずだった美術館の改装、それがなんと10年もかかってしまった。それを追ったドキュメンタリーだ。

この美術館には、有名なレンブラントの「夜警」や、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、ゴッホの「自画像」などの名画が揃っている。それらの絵が改装中、人目に触れないのを惜しむ美術館員の声も紹介されている。

どうしてこんなに遅れたのか。映画の冒頭、設計家が考え抜いた改装案に、真っ向から反対が起きる。町のサイクリスト達が「美術館の真ん中にスロープがあると、自転車の通り抜ける邪魔になる」というのだ。

私はあっけにとられた。自転車なんだから美術館の周りを回ればいい…と。しかしサイクリスト達は、とうとう会議の採決で改装案を却下。館長の辞任まで引き起こす。そしてようやく次の案が認められたと思ったら、こんどは壁の色で別の人たちが散々揉める。

半ば呆れて見ているうちに、この主張と徹底した議論、これこそが民主主義…と思えてきた。館長はじめ美術館に関わる人たちのみならず、あらゆる人が意見を言う機会があり、そのために「自分たち」の美術館がどうあればよいかを考える。

さて、日本。強大なオリンピック競技場は突然決まったこととして発表された。異論に対しての修正案ですら、近隣に住む人たちへの丁寧な説明は聞いていない。関係者だけで決めて、決定過程でさえ国民に公開されていない。

政治も同じ。12月の選挙で過半数を得た与党は、原発の再稼働、集団的自衛権、そして憲法にも手を付けようと意気込んでいる。国民へのアンケートではこれらについては国民の過半数は反対なのだ。だが与党は、そうした声を無視して進めようとするだろう。市民の声は届かない。

国民の声を政府に届ける形は幾つかある。議員選挙もその一つだが、ほかにも署名、デモ、投書等々。しかし選挙以外の声は無視され続けてきた。いま、原発・国民投票に加えて集団的自衛権の国民投票を!という声をあげようとしている。住民投票・国民投票も、声を届ける1つの手段だ。

国民投票には反対する人も多い。「自分と反対の意見が勝ったら?」「国民はそこまで考えているか?」という声に代表される。では今までの方法だけでいいのか。それでは、多くの国民の「考える機会」を狭め、「考える力・考える習慣」を奪うことにならないか。

投票で「自分の望む方向」にならなかったならば、次の国民投票を何度でも粘り強く続ければいい。その度に、国民の間に議論が巻き起こり、国民は考えるだろう「この問題について、私は〇か×か」。

原発住民投票でいえば、2011年以来、大阪、東京、新潟、静岡で住民投票を求める署名が集められ、いずれも議会が拒否した。いま埼玉県民投票を要求する署名が、1月10日まで集められている。署名する人も拒否する人も原発について考えるだろう。http://saitamakenmintohyo.web.fc2.com/

「選挙で1回投票したら、後は何もかも政治家にお任せ」ではなく、何度でも考える機会を持つこと、議論を重ね、より良い方向をみんなで作り上げていくこと。それが国民主権の民主主義のあり方ではないだろうか。

世界では数多くの住民・国民投票がされている。昨年のスコットランドの独立を問う住民投票、イタリアの原発再開を問う国民投票、リトアニアの原発建設、スイスではベーシックインカムに至るまで。大きな問題に対して、人々は個々の問題に1つ1つ向き合い、自分の頭で考え、自分で結論を下す。

アムステルダムの市民を巻き込んで、時間をかけて、ようやく改装された美術館。各々自分の思い通りにならなかった部分を越えて、自分たちで作り上げたからこそ「みんなのアムステルダム国立美術館」なのだ。

私たちの命や将来に大きく関わる原発の再開や、集団的自衛権。「政府が勝手に決めた」「仕方がないでしょ」とはしたくない。重要な問題なら、住民投票・国民投票も使って、みんなで考え議論をしたい。そして政治を確実に「自分の」そして「みんなの」ものとしていく2015年でありますように。

◆みんなで決めよう「原発」国民投票 http://kokumintohyo.com/
◆集団的自衛権・国民投票ブログ http://jieikentohyo.blogspot.jp/