呼出完了
0554 嘗てと今のポーランドから見えた、今の日本 笹井明子 2014/10/22 21:32:49
縁あって、9月後半に一週間ほど、ポーランドのワルシャワ近郊に滞在した。

ポーランドといえば、第二次大戦時のドイツ・ナチスによる支配と破壊、大戦後のソ連邦の支配と傘下に置かれた政府による言論統制など、辛く苦しい試練が続いた国であり、そうした幾多の困難の中でも立ち上がり、闘い、議論し、権力の荒々しい暴力に抗い、やがて自由を選び取った人々の輝かしい史実が思い起こされる国でもある。

ワルシャワの町を見物して歩いている時、私は息苦しい共産主義社会の残滓や、それに抗った人たちの頑強な意志の面影を無意識のうちに求めていた。しかし、そんな思い込みを裏切るように、2014年のワルシャワの町は程よい活気と落ち着きに満ち、人々の表情は柔らかく親和的で、戦争の苦難を味わい尽くした後の日本の戦後社会にも似た、ある種懐かしい空気が流れていた。

こうした中で数日を過ごし、寛ぎや安らぎを普通のことと感じ始めると、毎日インターネットを通して伝わってくる昨今の日本社会の異常さ、とりわけ、豊かさを演出する虚構の空々しさや、排外主義の横行と、そうした団体との繋がりが取り沙汰される内閣の異様さ、そんな内閣が憲法を破壊しつつある不気味さが、対比的に浮き彫りにされ、さすがにこんな状態はそう長く続くはずがない、と思わずにはいられなかった。

こうしたギャップを消化しきれないまま、日本に帰って数週間。ここに来て、小渕経産相、松島法務相が同日辞任し、「女性が輝く社会」の演出として登用された安倍人事が儚くも崩れた。今は安倍総理と菅官房長官が必死の対応で幕引きを図ろうとしているようだが、野党の姿勢にもマスコミの論調にも変化が見られ、磐石と言われてきた安倍政権の崩壊の可能性が見えてきた。

今回の二人の大臣の辞任は当然とはいえ、この内閣が抱える本当のスキャンダルは、排外主義者との繋がりなど、もっと根深いところに広がっている。そして何より、虚言を重ね、立憲主義を踏みにじり、増税を国民に押し付けながら、巨額のばら撒きを世界に約束して回り、なおかつ自らの言動で世界から警戒の目を向けられている安倍総理の存在自体が、日本社会に影を落とす重大な不安要因だと言えるだろう。

日本人は大人しく、マスコミは政府の広報機関に成り下がっている、と言われて久しい。確かにそれはひとつの事実だ。しかし、一方で、2011年3月以来続いている「反原発」運動に始まり、「TPP」「米軍基地の辺野古移設」「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」など、国民の意志と乖離した政府の政策に対しては、デモ、集会、署名、街角対話、違憲訴訟、など、様々な抗議行動が絶え間無く起こり、継続されているという、厳然たる事実もある。また、安倍内閣に呼応するようなヘイトスピーチの横行に対しては、カウンター行動が排外主義者を圧倒するほど盛り上がり、政府も動かざるを得ないまでになっている。

夫々の運動は一見バラバラで、どれも決定打にならず、互いの運動をけなしあったり批判しあったりする中で、安倍内閣はこれまで安穏を装ってこられたが、それでも私たちの持続する志とダイナミックな行動は、実は政権基盤を揺さぶり続けている。こうした行動が実を結び、一旦幻想が破れ、砂上の楼閣の屋台骨が崩れれば、今の内閣が終焉を迎えるのもそう遠い先のことではないだろう。

1980年から83年、激動するポーランドに飛んだ今井一さんの著書「チェシチ!うねるポーランドへ」(朝日新聞社)には、ポーランドでも、「連帯」が勝利するまでの過程には、ソ連や軍政をしいたポーランド政府による、すさまじい切り崩しが行われ、人々は「はっきりと軍政に反対する態度をとり、抵抗している人」「反対の意志も抵抗する気もない人」「自分一人では抵抗する気はないが大勢でやるなら参加するという人」に分かれた、という活動家の証言が記されている。

また同じ著書の中で、「戦時体制」下、インタビューに答えた若い労働者は、「俺たちは武器をもってない捕虜なんだよ。・・・だけど、奴らの思い通りにはさせない。勝負はまだついていない。これからだ。・・・新聞やテレビの言っていることはウソばかり。カネをつかまされた「連帯」脱退者の「連帯」批判ばかりやってる」と、今の日本にも通じる話をしている。

権力が自らの存在維持のためにやることは、いつの時代も、どこの社会も同じだ。そして揺れ動く人々の弱さも、強さも、どこもそう変わりはない。

それを踏まえた上で、嘗てポーランドの人々の闘いの現場に飛び込んで、苦しみや喜びを共にした今井さんが、ポーランドの友人たちから教わったこととして、本の締めくくりに書いている言葉を、現在の日本の私たちへの言葉として、受け止めたいと思う。

『人間的に生きること、個性的に生きることを妨げるような権力・制度は、その国が資本主義国家であれ社会主義国家であれ、決して長生きすることはできない。いかなる国であれその死滅は時間の問題となっている。それを信じること。向かい合うものがどんなに強大に見えても、屈服せずに闘うこと。』