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0552 現場からの報告−日常性に埋没する自己と向き合いつつ、前へ! せっちゃん 2014/10/08 13:53:06
“ホームレス状況”からの第一段階の脱出=ハウスレス(居住生活喪失)から脱出し、自立した生活の営みを取り戻した人々の訃報に最近多く接するようになってきました。

自立生活に入った人々の高齢化が進む中でそうした状況と向き合いつつ、「最後の看取りが、“孤独”の中にあった」との訃報に接する時、「何もできなかった“自己の無力さ”と同時に、“無関心であったのではないか”との自責の念」がよぎってしまいます。

そして、同時に、日常生活に埋没しつつ、自治会活動のあれやこれやに追われていると、「北九州との物理的な距離が、心的に大きな距離へと転化してしまっている自己と、“これで良いのか”との迷いに縛られて、“短絡的な二者択一論”に陥っている自分」に気付く時があり、なんとも知れない焦燥感に襲われてしまいます。

また、「“ハウスレスからの脱出状況”から更に、“ホーム(人と人との関係性の実在)”の共有とその保全を自らの活動(日常性)に課したのではなかったのか、何故それが・・・」との焦燥感として残ってしまいます。

NPO法人が建設した施設の入居者との交流は大切にしているのですが、それでも“訃報”との距離を埋めきらない自分の状況がある時があり、ましてや、北九州外に居住した人々の“訃報と自己の在り様”を思う時、先の“焦燥感”に強く襲われてしまう。まだまだ、“若き未熟さ”故と思っているところでもありますが・・・・。

そして、その“若き未熟さ”故に、今のそれなりの“人と人の繋がり・縁を結びあいたい”との“想いの持続性が保たれている”のかもしれないと、開き直っている今日この頃です。(そうした現実故に、NPO法人の設立でもって、個人の限界性を越えた“組織的支援事業展開性と継続性”を担ってきたと云えますし、それは、必然的な結果であったと云えます。)

そうした日常の積み重ねを過ごしている中で、最近の安倍政権の右旋回への焦りは、その焦りが政権への自己崩壊をもたらしていくのではないかと思われる程に急激で強引すぎると思っています。しかし一方で、安倍政権の自己崩壊を待つ時間があるのだろうかとの危惧が重くのしかかっているところでもあります。

財務官僚の操縦よろしく、首相の増税への執着と強弁した“集団的自衛権”を何処かに隠したはにかみ故か、眉を決しての国会答弁の棒読みが画面に映し出される度に、民主党の“政権投げ出し”の罪の深さを思い起こさせてしまいます。

そして、政権の看板の右翼的な実績を伴う女性閣僚を目にする時、この国は、日一日とかっての“道”を歩んでいるとの思いを強くするとともに、“護憲と9条の旗”をシッカリと地域に、職場に根付かせていく営みを継続させていく心身を保っていけるようにしていきたいと思っている今日この頃です。

皆さん、健康に留意され、歩みを止めないで、明日に向かっていきましょう! 来年の憲法記念日での再会を!