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0548 護憲コラム パンドラ 2014/09/08 01:33:09
「九月東京の路上で。1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」

九月は夏と秋が入れ替わる胸騒ぎの月。

1923年9月1日、朝からの雨が上がった蒸し暑さの中で、11時58分相模湾を震源とする大震災が起きた「関東大震災」である。
折悪しく昼食の用意に人々は火を使い燃えやすい木造の民家が犇めく東京市は一帯を猛火に包まれた。

その直後に起きた朝鮮、中国の人々に対する大虐殺は人々の口に上る事はあっても政府や行政が大がかりな調査をする事もなく、日本近代史の中でも検証される事もなかった。

あの時九月の東京の路上で何が起きていたのか?

「九月東京の路上で」加藤直樹氏が書かれたこの本は日本の近代史の中で闇に隠された部分を私達に追体験する試みをしている。当時リアルタイムで書かれた手記や多くの人々の目撃証言を資料に91年前の東京市とその周辺の地域で何が起きたのかを読者に再体験させる構成となっている。

当時は警視庁、軍隊さえも「朝鮮人が暴動を起こし井戸に毒を投げ込んだー」という情報に惑わされた。その時中心にいた人物が「朝鮮人鎮圧」を警視庁に指示した翌日、9月3日には各地で警官隊はメガホンを手に朝鮮人暴動への警戒を叫んでいた。
「お上が与えたお墨付き」により各地で1000を越す自警団が結成され残虐な朝鮮人大虐殺は官民一体となりいよいよ勢いを増して行った。

あれから91年の時を経て「官民一体」となった情報操作、隠蔽の恐ろしさを私達は「イラク人質事件」を始め既に何回か体験している。
イラク人質事件では、マスコミ、ネットでの噂、デマは野火のように広がり人質になった彼らを犯罪者のように扱う言説がテレビ、新聞、ネットなどに飛び交った。
そして現在の東京の路上で繰り広げられる韓国や朝鮮の人達に対するヘイトスピーチ。「良い朝鮮人も、悪い朝鮮人も殺せ!」という汚い恐ろしい言葉が飛び交う。その周囲を眉をひそめて通り過ぎる人々の中にも私は「兼韓」的なものの芽を感じる。「震災に乗じて朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだのは事実だった」という本まで書店の店頭に並ぶ時代になってしまった。

加藤直樹氏は「これは現在につながる問題。まず90年前の東京で起こった事を、紛糾でもなく学習でもなく【目撃】して欲しい」と2013年の通販生活という雑誌のインタビューで答えている。目撃するには辛い、苦しい場面もあるが「単なる過去ではなく今を考えるためのきっかけとして関東大震災の記憶を共有する事が絶対必要」と加藤氏は述べている。

これは他人事ではない。

九月夏から秋に季節が入れ替わるこの時に私も91年前の東京の路上に立って、その時何が起きていたのか、それが今の東京の路上で起きている事にどうつながっているのか、考えてみたいと思う。