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0544 「貴重な犠牲」か「かけがえの無い命」か 笹井明子 2014/08/18 16:16:19
8月15日の戦没者追悼式で、安倍首相は「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と述べた。

一方、同じ式典の中で、天皇陛下は戦没者に対して「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々と、その遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」と述べ、今の平和と繁栄については、「国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました・・・」と、戦後を生きてきた人々の努力に、その源を求めた。

今、私の手元には亡き母の文箱に入っていた一枚の写真がある。昭和19年2月に学徒出陣し、同年12月、基隆北方海上で戦死した叔父の「港区戦没者追悼式典」の様子を写したもので、写真の脇には「犬死と思いし事は愚かなり 花と散りゆき 海々を結びけり」との文字が認めらる。

叔父は、幼い頃から父親の後を継いで外交官になると決め、祖父からも大変期待されていたが、勉学半ばに学徒出陣し、21歳の若さで航空母艦「雲龍」と共にその命を海に散らした。

戦死した叔父の弟にあたる、もう一人の叔父は、「戦死」の知らせを受けた祖父の様子を以下のように記している。

『士官は戦死とはいわず、ことさら微笑をうかべながら「海戦に出動されました」と告げ、ことさらあっさり挙手の礼をしてひきあげた。そのとたん、それまでかんじとして応対していた父が、玄関の畳の上に正座したままガタガタ、ガタガタ震えだした。瞑目し無言のまま、全身が小刻みに震えてとまらない。豪気だと思っていた父にして、あの震えやまぬ悲しみの姿は、いまも私の網膜に鮮明だ。』

祖父は、終戦直後に、脳出血で半身不随となり、別人のようなうつろな姿になってしまったという。

恐らく祖父が倒れたのと同じ頃に行われた「港区戦没者追悼式典」の、写真の脇に書かれた文言を、祖父が読んだかどうかは、私には分からない。しかし、祖父の息子に対する願いは「花と散って海々を繋ぐ」という虚構ではなく「生きて、海と海を結ぶ立派な仕事をして欲しかった」というものだったに違いない。

私は、安倍首相が語る「尊い犠牲の上にたつ平和・繁栄」に、あの写真の文言と同じ虚構を感じ取ってしまう。そして、それが戦後間もなくでなく、戦争から69年たった今、一国のリーダーを自認する者によって語られることに、強い違和感を持つ。

尊いのは一人一人のかけがえのない命であり、戦争の犠牲はただただ理不尽で傷ましいばかりだということ、そして、平和と繁栄の努力を積み重ねられるのは、生きていてこそだということを、母たちが残した戦争の記憶と記録を拠り所に、何度でも語り、今とこれからを生きる人たちに伝えたいと思う戦後69年目の夏である。