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0543 Re: 護憲コラム 百山 2014/08/11 17:01:12
 この国の人間としてこの世に生を受け、今にある者全てが忘れてはならないあの日、その日を含む八月の第三週が巡ってきた。

 天照大神とか神武天皇とか。皇紀は西紀より660年もの古(いにしえ)よりとか。
 モノには始まりがあって、今があるのは当然として、明治5年に定められた「紀元節」によって、国の歴史の古さ、西暦(キリスト降誕)諸国のそれよりも早く刻み来ったことが公定され、それがもろもろにおける民族の優位性を示すものであるかの如き意識醸成へとつながっていったことは、改めて申すまでもないことである。

 それに終わりを告げ、新たな始まりの扉を開いたのが、8月15日・この日である。
 この日は、この国に生を受ける人がいる限り、決して忘れてはならない「日」である。いや、遠い彼方へと押しやるようなことを引き起こしてはならないとの決意を、固め直すかけがえのない「日」である。

 明治時代の日露、日清戦争。昭和へ入ってからの日中、太平洋戦争。他国を圧することによる「存在感」に酔いしれたかのような戦争の系譜。
 その陰で、故なく「生」を奪われた者の数無数。この愚かさ。

 そも人の命を奪うこと、洋の東西を問わず大罪。 無限の可能性を孕んで生れ出た命。全うせずに誰にその邪魔立てが許されよう。

 もう二度と戦争はすまじ。「日本国憲法」への歩みを始めた日である。
 この「日」は、学校は夏休み期間でもあり、「今の始まりの日」として学校などで言挙げされたという記憶は、全くない。今はどうなのだろうか。

 「命の重さを考える日」として向き合っては如何だろうか。
 「たった一つしかない命」。これを、必ず噛みしめて歩み行く。これを感じさせてくれない人が説く百万語は,空しい。

 命の尊さ・かけがえの無さを積極的に説いて回る「平和主義者」の出現を、渇望して止まない。