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0519 ファシズム的政治形態への変容 流水 2014/03/10 17:35:16
先日来、過去ログの整理をしていたら、以下の文章をみつけました。2004年に老人党掲示板に投稿したものです。現在の政治状況を見ても、あまり古びてはいないので、一部、手直しをして、もう一度掲載してみようと思います。

ナチス・ドイツは、一夜にしてできたのではありません。麻薬におぼれるように、少しずつ少しずつ事態が進行し、気がついたときには、見事に麻薬中毒になっていたのです。

下の文章は、ナチスドイツの支配下に生きた普通の市民の述懐です。麻生財務大臣がもらした「ナチスドイツの手法に学ぶ」という発言を考えれば、現在の日本と比べ合わせて見るのも、意味があるのではないか、と思います。
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◆「一つ一つの措置は、きわめて小さく、きわめてうまく説明された。“時折遺憾”の意が表明されるという次第で、全体の過程を最初から離れて見ていない限りは−こうしたすべての“小さな”措置が原理的に何を意味するということを理解しない限りは、−人ひとりが見ているものは、ちょうど農夫が自分の畠で作物が伸びていくのを見ているのと同じなのです。ある日気がついてみると作物は頭より高くなっているのです」

◆「どうか私を信じてください。これは本当の話なのです。何処に向かって、どうして動いて行くのか見極められないのです。一つ一つの行為、一つ一つの事件はたしかにその前の行為や事件よりも悪くなっている。しかし、それはほんのちょっと悪くなっただけなのです。そこで、次の機会を待つということになる。何か大きなショッキングな出来事が起こるだろう。そうしたら、ほかの人々も自分と一緒になって何とかして抵抗するだろうというわけです」

◆「気がついてみると、自分の住んでいる世界は−自分の国と自分の国民は−かって自分が生まれた世界とは似ても似つかぬものとなっている。いろいろな形はそっくりそのままあるんです。・・・けれども、精神はすっかり変わっている。にもかかわらず精神を形と同一視する誤りを生涯ずっと続けているから、それは気付かない。
 いまや自分の住んでいるのは憎悪と恐怖の世界だ。しかも、憎悪し恐怖する国民は、自分では憎悪し恐怖していることさえ知らないのです。
※ 誰も彼もが変わっていく場合には誰も変わっていないのです」
             ミルトン・メイヤー「彼らは自由だと思っていた」
             丸山真男「政治的なるものとその限界」所収
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この文章は、かなり正確にナチスドイツの支配下を生きた市民の意識を述べています。

【気がついてみると、自分が生まれた世界と似ても似つかぬものとなっている】のは、現在の日本の状況を彷彿とさせます。

【いろんな形はそっくりあるんです・・・けれども、精神はすっかり変わっている】ことも実感できます。解釈改憲などはその最たる事例です。安倍内閣が言う河野談話・村山談話の継承など、安倍総理の理念と河野・村山談話の理念の余りの乖離に目がくらみます。

積極的平和主義も日本国憲法の平和主義理念との落差を考えれば、恥ずかしくて「平和主義」など言えるはずもないのですが、そういう【恥】の感覚などないのでしょう。

このような様々な事象を考えれば、ナチスドイツ当時の状況と酷似している事が納得できると思います。

第二次世界大戦の最大の教訓は、二度と【ファシズム】という政治形態を許さない、というところにありました。ところが、現代では、国民には、【ファシズム】とは何かすら判然としない状況になっています。

政治学でいう「ファシズム」とは、狭義には、【極右】政党ないし軍部・官僚の中の反動分子による政治的独裁形態を指し、立憲主義と議会制の否認、一党制の樹立を目的にします。イデオロギー的には、全体主義・国家主義ないし民族至上主義・軍国主義を強硬に主張します。

ここでは、欧米で主流であるこの狭義のファシズムで考えてみたいと思います。

◆まず、このような考え方が現れる時代背景には、何があったのか。

※近代社会の危機的な部分は全てファシズムの温床となる。(前提)
1.国際的孤立と戦争の危機
2.国内政治の不安定・議会や既成政党の腐敗・無能・非能率などの病理現象
3.社会組織の硬化
4.大量の失業者・社会の組織から脱落した大量の人間の存在
5.知識人と技術者のニヒリズムと政治的アパシー
6.メデイアの知性の断片化と方向感覚の喪失
7.政治・経済・社会問題の合理的調整の可能性に対する懐疑と絶望
8.失意と無力感の保障として強大な権威あるいは超人的指導者への渇望

◆では、このようなファシズムの【機能】は、どのようなものでしょうか。

ファシズムの目的は、革命勢力(共産主義勢力)組織の破壊にあります。ただし、その方法は、消極的には支配体制に対する抵抗の拠点となりうる民衆の大小のあらゆる自主的集団の形成を、【威嚇と暴力】によって妨害し、積極的にはメデイアを動員して、ファシズムを正統とするイデオロギーや生活様式まで大衆を画一化します。

※ファショ化とは、異質なものの排除を通じて【強制的セメント化】を図る過程。

同時にファシズムが声高に唱える【スローガン】は、体系性がなく、論理的に矛盾していますが、【政治的機能】からすれば、一貫しているのです。
つまり、ファシズムのイデオロギーは【反共産主義】と【戦争への動員】と【国民の強制的同質化】という目的に系統的に奉仕しているのです。

◆ファッシズムの精神的傾向と発想様式の特徴

1.自国・自分の属する民族至上主義 
2.人種差別的傾向・人間関係の階層的編成への誘惑(平等が大嫌い)
3.大衆不信と蔑視(※大衆を操縦の対象としてしか見ない)
4.婦人の社会的活動能力への不信 
5.知性と論理より本能・直感・肉体的エネルギー重視 
6.戦争への賛美と恒久平和に対する嘲けり
7.進歩の観念に対するシニカルな見方

ファッシズムの主張やスローガンは、必ず「反共」「反ユダヤ」「反韓国」「反中国」などという【否定的・消極的要素】に行き着きます。これは、ファシズムが現代の矛盾に対して答えるすべを知らないからです。だから、とりあえず彼らが敵と定めた組織・集団・個人の唱える意見全てに反対をします。

その反対の論拠が如何に支離滅裂であっても、それは、「反共」「戦争への動員」「強制的同質化」という目的にためには、かえりみない。どんな無茶ないやり方であっても、目的にそぐえば、許容されます。これが、ファシズム推進者の心性です。

※ここまでのファシズム分析は、丸山真男に依拠しています。

この分析を使って、現代という時代を考えれば、現在の政治状況・社会状況が、よく見えてきます。

まず、「時代的背景」ですが、上記の1.〜8.までの分析は、現在の日本を分析しているのではないかと思うくらい、ぴったり当てはまります。つまり、ファシズムを生み出す時代背景は、整っていると考えてよいのです。

さらに、2チャンネルやヘイトスピーチなどに見られる左翼(共産主義)攻撃、反韓国・反中国論調など、感情的・非論理的攻撃、異質なものを排除する心性など、彼ら自身は新しいつもりでいるかもしれませんが、第二次大戦前(1930年代)の上記の【ファシズムの精神的傾向と発想様式の特徴】にぴたりとあてはまります。つまり、彼らは意図的にあるいは無意識のうちに、ファッシズムの露払いをしている、と考えてよいのです。

上記の分析に従えば、支配体制に対する抵抗の拠点となりうる民衆の自主的集団の形成(労組、老人党や護憲+のような市民集団など)を「威嚇」と「言葉の暴力」によって、意図的に妨害します。

だから、ネット世界で見られるような、罵倒・中傷を繰り返し、参加者を辟易させ、最後には炎上というようなやり方で自分たちの主張で埋め尽くすのを目的としているのです。

彼らの主張を【ファシズムの精神的傾向と発想様式の特徴】にあてはめて、分析してみれば、上記のことは一目瞭然です。

1.自国・自分の属する民族至上主義→彼らが、執拗に繰り返す「反中国」「反韓国」の主張をみればすぐ理解できます。

2.「人種差別的傾向」→彼らの差別的言辞の意図的使用をみれば明らか。「階層的編成への誘惑」→「馬鹿」、とか「阿呆」の言葉を頻発する。人質事件家族などへのバッシング→弱者に対する勝ち誇った姿勢をみれば、彼らの心性が透けて見えます。
 しかし、これが逆の立場になったときは、被害者を完全に偶像化して、自らの正当性を主張します。 「平等」という言葉に対して、生理的な嫌悪感を示します。とにかく、人間に【差】をつけたがる。そして、その場合、アプリオリに前提とされているのは、【自分が優秀である】という信念です。

3.大衆不信と蔑視→自分の考え方に同調しないものを罵倒し、無茶であろうが、非論理的であろうが、とにかく、自分だけが正しいと主張します。

4.女性蔑視の傾向は、かれらの言辞の随所に見られます。

5.知性・論理の嫌悪→彼らと論争すればすぐ分かりますが、とにかく「誹謗・中傷・悪口」しかいわない。この傾向は、とみにひどくなっています。TVタックル、たかじんの番組などがその典型です。

6.戦争への賛美→とにかく、どんな論争をしても、「安全保障」の問題にすべてを収斂させます。そして、「平和」を主張するものには、すべて「左翼・共産主義・さよ・赤」のレッテルを貼り付けて、論議の正当性ではなく、感情的に排除します。
 共産主義・自由主義・民主主義・平和主義などのきちんとした色分けなどには関心がない。要するに自分たちの主張に反対するものは、すべて【左翼・共産主義・赤】なのです。だから、冷静な議論など展開しようがなく、最後には感情的な言葉のぶつけ合いにならざるを得ない。⇒※これこそが、彼らの目的⇒相手が嫌気をさして、沈黙すれば、それがとりもなおさず自分たちの勝利。

7.進歩の観念に対するシニカルな見方→多少冷静で、理論的な人間は、こう語ります。「平和」に反対するものは誰もいない。しかし、世界にはそう考えない人間も多数いる。そんな人間にもし攻められたらどうするのだ。世界の現実を見てみろ。人間なんて、所詮、力のあるものが勝つのだ。だから、日本も力を持たなければならない、と。
 彼らは、「平和」を希求する人間の心理を、甘いと一蹴します。彼らは、人間の進歩を信じていないのです。人間は、いつまでもジャングルの掟の中に生きている、と考えています。
⇒だから、勝つために使うタクティスに、異常に固執します。兵器に対する執着心、盗聴・スパイ・監視などの情報収集などに異様な執着心を持つのです。逆に言えば、この種のことに異様に執着する人間は、ファッショ的資質があるともいえます。
 
このような感性の持ち主が主流になった社会を考えるとぞっとしますが、どうやら安倍政権の中枢や側近たちは、上記のような感性の持ち主だという事が誰の目にも明らかになってきました。

NHK会長、経営委員、安倍側近の衛藤なにがしなど世界の人々の眉をひそめさせる発言のオンパレードです。彼らの発言は、世界の人々に理解されるどころか、日本の孤立化を深めるだけなのですが、それを徹底的に追及するメディアもありません。

「個人的見解」「誤解を与える」などと言って取り消しさえすれば、自らの言説に対する責任は消えたかのごとく振舞っています。人を責める時は、何十年前の言葉を執拗に取り上げて攻め立てるくせに、自らの発言はほっかむりです。

これが現在の日本の寒々とした政治状況です。これをファシズムといわずして何がファシズムでしょうか。わたしたちは、この事をよく認識して、安倍ファッショ政権に対抗しなければならないと思います。