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0488 Re: 護憲コラム 蔵龍隠士 2013/08/23 08:04:41
 http://web-kenpou.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-0862.html
 許すな!憲法改悪・市民連絡会: 北岡伸一: 集団的自衛権巡り、「歴代内閣の憲法解釈は間違い」 2013年8月14日 (水)
 (本文)=安倍政権で集団的自衛権に関する議論を進めている有識者懇談会の北岡伸一座長代理はJNNのインタビューに応じ、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としてきた歴代内閣の憲法解釈は「間違っている」として、年内に、解釈の全面的な変更を求める提言をまとめる考えを示しました。 「私どもの多くはね、今の内閣法制局の集団的自衛権についての考え方は、間違っていると思っているのです、最初から。集団的自衛権を一切行使できません、というのは間違っていると。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D
 法の支配 - Wikipedia
 ・法の支配における「法」[注釈 1]とは、全法秩序のうち、「根本法」ないし「基本法」のことを指す[1]。
 ・法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である[2]。
 ・法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている[2]。

 http://newsgene.net/c3/127556.htm
 最高裁判事 集団的自衛権巡る憲法解釈に言及 NHKニュース
 内閣法制局長官から最高裁判所の新しい判事に任命された山本庸幸氏(63)が会見し、集団的自衛権の行使を巡る憲法解釈の見直しに関する議論について「半世紀以上維持されてきた憲法解釈であり、個人的には見直すことは難しいと思う。見直したいのであれば憲法9条を改正するほうが適切ではないか」と述べました。


 最上段の記事、北岡伸一氏の「歴代内閣の憲法解釈は間違い」なんて一片の、切口上、言い草に、先ず驚かされた。政治学がご専門の、北岡伸一氏だから、言ってのけられたのか、それとも、日本国憲法破棄に、情熱を燃やす余りの、大言なのか、判りかねるが。少なくとも、常識的には、言い過ぎであろう。法の支配は、そんなに薄っぺらではない。実体的にも、歴史的にも。
 「歴代内閣の憲法解釈は間違い」なんて言い草が、当座の、一代限りの安倍コベ政権で通用させようとするなら、『法の支配』を転覆できると観るなら、法の支配の概念は、安倍コベ政権には、全く、馴染まない。しかし、法の支配、60余年に及ぶ安定は、それ自体だけでも、一応尊重すべきものであり、況して、集団的自衛権や、国家の基本法、憲法問題においては、軽々に扱ってはならず、安定した慣習を破ることは、厳に、慎まねばならぬ。政府やその一半を占める者においては。当然の心得であろう。ところが、安倍コベ氏並びに、彼と徒党を組もうとする輩は、この心得を、安倍コベとするかのように、政権党だから、首相だからといって、常識・良識を捻じ曲げ、その地位、立場を私利私欲のため、逸脱し、手段化して、我を通そうとするかのようである。ひょっとしたら、全国的に、徒党を組んでいる!?こと …ナチスを手本としているかは、定かではないが、多言を要しないことに見える。

 但し、今回は、これに深入りしようとはしない。この「歴代内閣の憲法解釈は間違い」の一文を見て、戦後60有余年を無きものにして、戦後直ちに、本格的な民主国家・日本となっていたら、どうだったか、想像を、夢を、各々が、巡らしてみたら、力にならないかと思い立った次第。
 しかし、実際には、本格的な民主主義国家になり得なかった、戦後日本としての、基本的間違いに、思いを馳せて、理想と比較対照して見ることはできないか。…つまり、日本国憲法に相応しい、担える、新たな政治勢力、人材が権力・機構をになっていたとしたらという、無い物ねだりの、どんな社会になっていたかという、夢のような話(想定)、またその外延について、どうだったか、振り返っても、人権拡大・充実、護憲の立場から、何かしら目標とすべきものが、見えてこないかと思惑したのである。…勿論、実際には、現・日本国は、敗戦国・大日本帝国の負の遺産を引き摺り、超大国となった、アメリカ合衆国の占領下に組み込まれた、その経緯も、その間違い、即ち、現在に至る日本と重大な関わりがある。
 “新しい酒は新しい革袋に盛れ”のことわざを、敢えて破るような、間違いを、新生日本の独立において、朝鮮戦争等に備えたい、覇権国家となった米政府主導で、やってしまったのである。敗戦国として支配を受けていた手前、米政府の思惑や支配に迎合せざるを得なかった面もあるにせよ、敗戦国日本の、指導層は、生き延び、且つ政府等指導的立場に、復帰してしまった。つまり、古い革袋に、民主主義という新酒が盛られてしまったのである。そして、吉田茂と田中耕太郎らにより、国家機関の三権分立も、立法優位との解釈が罷り通り、益々、メンタル面においても、旧支配層と波長の合う、或いは、実利、既得権益を同じくする、政官業の癒着など、強固な体制が、構築された。 但し、今は、これまでの支配体制乃至仕組みの侭では、破綻しそうな気配も、強く漂ってきた!? これまで経験したことのない、人口減少社会、少子高齢化、1千兆円を超す政府の借金、大災害、大自然災害の警鐘、選挙制度の欠陥問題、労働問題、制度疲労、社会の疲労・退廃!?・不健全化、…縷々ある。
 因って、安倍コベ氏の下、衆知を集めて、喧々諤々、真の民主主義社会に、その再構築に、邁進できるとは、到底期待できない、現下の状況にある。彼らは、却って、後戻りし、国民の、主権者の、多数の参加が求められる民主主義を瓦解し、国民主権を屠り、そして何より、基本的人権を唾棄しようとしているかに見えること、実に、残念である。
 むしろ、安倍コベ政権は、かつて“お友達内閣”と揶揄されたが、この延長線上で、統治を行おうとするかに見えて、気味が悪い!?
 そう、時の内閣の恣意で、解釈改憲できるなんて、内閣や総理大臣の特権、既得権とでも、心得ていなければ、言ったり、実行しようとしたり、出来ないものではないか!? そも、民主主義、国家機関についての、看過できない誤解が、安倍コベ政権にはある。
 序に言うが、大マスゴミも、批判の声が、余りにも、小さすぎる! 大企業なども、亦然りである。労働組合なども、存在感が実に薄い…。
 日本国憲法にとっても、生憎の事情となった。多分。そうした内外の事情は、与件の一つであり、民主主義をすすめる、国民主権を進める格好の材料と心得よう。
 戦後の歴代政権、殊に自民党政権だったのであるが、彼らは、日本国憲法破棄を党是とした政党であり、平和憲法を敵視して来た事実を直視しなければ、我ら日本国憲法上の、主権者の役割は果たせない!? 何故なら、権力者らは、日本国憲法を我がものと看做していないからである。憲法9条を巡る、『憲法の変遷』なんていうのも、日本国憲法の字面(書き方)に、問題があったり、憲法が、独りでに“変遷”したのではない。時の政権が、そのように、敵視の観点から、或いは、米政府の要望に沿うよう、解釈を変えたに過ぎないのだった。人権についても、違憲判断のギリギリにまで踏み込み、値踏みしつつ、ご都合に合わせて、つまみ食いして来たのみであろう。そして、遂に、彼らの“憲法改正”を実行しようとしている。その手段は、これまでもそうであったように、改憲の先取り、実体化である。憲法違反、人権侵害の非難を、歯牙にかけない… そういう強引さで、主権者、メディアと駆け引きしながら、自らの望みを実現しようとしてきている。憲法改正があるとするなら、むしろ、総仕上げの如くであろうか。
 日本国憲法を、血肉化し、発展させるのは、我ら主権者を置いて、他にはいない。安倍コベであれ、ナチスの如き者であれ、…権力者を当てにできない。つまり、我らの自由・権利を護るため、主権者の権利・利益を、豪も減退させてはならないと思うのである。