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0476 生活保護法改正批判 名無しの探偵 2013/06/06 05:58:14
安倍内閣は経済政策の「骨太の方針」を打ち出しているが、社会保障に関しては生活保護の見直しを図り、具体的には生活保護法の改正案を決めている。

このような経済政策は目新しいものではなく、何十年も前にレガノミクス、サッチャーイズムを手本とした中曽根政権の焼き直しに他ならず、当時の民営化政策と同様に福祉の削減を目指しているもので、社会的弱者の切捨て政策に他ならない。それは新自由主義の経済政策であり、アベノミクスと称してマスコミが褒め称えるようなものではありえない。

今回の法改正の根拠として不正受給の問題があげられているが、この改正根拠:必要性はまったくもって本末転倒である。一部の不正受給者の問題を盾に要保護者全体の権利を制限しようとするのは基本的人権としての「生存権」を軽視するものであり、法改正という体裁を取ること自体も問題である。

その法改正の基本的な内容であるが、第一にこれまでは口頭による申請でも認められていたが、改正案では申請者の資産や収入を記載し、書類を提出する必要があるという。

次に、問題なのは「親族の扶養義務の強化」という内容である。それによると生活保護申請者を扶養する義務を負う親族が応じない場合には、親族の収入や資産について自治体が報告を求めることができるようになるという。

こうした改正案は何か新しく設置される法案のように見えるが、実際にはこのような制限手続きを以前から課している自治体も存在している。このように生活保護の手続きを厳格にしている実態があり、うまく行っているので、法律もそれに合わせようというわけである。

この手法は安倍内閣が憲法改正の必要性を強調する理由と重なってくる。憲法が実態に合わなくなっているので憲法を改正する必要が出てきたという論理である。

法律というものは実態とか既成事実を規制するから法なのであり、実態に合わないから法を実態に合わせるというのは転倒した論理である。今回の生活保護法の改正は憲法改正の法律版なのである。安倍内閣はおよそ「法の理念」というものが理解できていない法外な内閣である。

最後に今一度、生存権の基本的人権の意味を再確認しておこう。

今回の生活保護法の改正案では、手続きを厳格にしてなるべく面倒な手続きにして申請者の権利主張を制限しようとしているが、これでは基本的人権の当然の行使に歯止めをかけているとしか言えない。

基本的人権の行使を容易にできないようにするのは、権利の主張が当然のものではなくなり、国家が付与する恩恵的な権利(戦前の思想)に限りなく近似してくる。

生存権という基本権は、判例の言うように「抽象的な権利」というものでもなく、国家の今後の指標となるプログラムを定めたカタログに過ぎないものでもない。それは憲法に保障された「具体的権利」なのである。なぜなら、憲法25条「生存権」を具体的に実現する法令(生活保護法)が存在し50年以上も機能しているからなのである。