| 「憲法改正以後」
憲法改正問題が表面化したり水面下に沈んだりの この数十年であるが、実際には政治権力は有事体制を着々とこなしてきているわけであるから外堀は大分埋められてきた。有事法制とかいう政治用語であるが、正しくは(政府の誤魔化しを許さなければ)戦時法制と呼ぶべきものである。 有事体制の完成段階は憲法9条の改正に他ならない。 ところで、有事法制の実現と法令の実施段階で問題化する憲法条項は憲法9条だけであろうか。そうではなく最初に剥奪される基本権は表現の自由である。有事法制では敵国と通じる恐れのある報道は禁止され、これを行った報道機関は処罰されるとなっている。もちろん、これは有事の際に関しての報道規制であるが。 こうして、有事体制が完成段階に立ち至った場合には国民の基本権は大幅に制限されてくる。 どの有事体制批判書にもあまり書かれていないが 私たちは(親の世代以前)実はこういう市民権の 剥奪状態は経験済みの事柄なのであった。 20世紀前半の歴史こそがその経験の歴史なのである。 日本と同盟を結ぶことになるドイツでは第一次世界大戦後に共和国を発足させ当事でも先進的な人権を掲げた(社会権など)ワイマール憲法を制定させた。しかし、敗戦国ドイツの戦争賠償額は巨大なものであったために信じられないような経済不況がドイツを襲い、共和国は崩壊した。ナチス党がこの間隙をついて政権を掌握し(授権法)、 ファシズム体制が完成する。先進的な憲法秩序は 音を立てて崩壊し、ドイツ市民は言論の自由など 基本権を剥奪された。ドイツ国籍のユダヤ人を初めとして強制収容所に送り、絶滅計画(ヒトラーの構想である)が実施された。 同様なことは日本でも起きていた。大正デモクラシーと言われていた時代に国民の権利の確保はかなり進展していた。司法でも陪審制度が実現されたのも この時期だった。 ところが、議会で治安維持法が制定されると当初は法令の実施はされなかったが、10年もすると 治安維持法は猛威を振るうことになった。さらに 組閣にも軍部が進出し軍人が閣僚の座を多数独占するようになると国民の言論の自由などは完全に剥奪された。 こうした歴史的な経験があったからと言って今回も同じような道に進むとは言えないが、有事体制と憲法9条の改正によって別種のファシズム:全体主義が頭角を現す可能性は大である。 安倍首相がつとに言うように「それは階級史観だ」という政敵批判の表現によく示されている。 資本主義社会で階級が存在しないような理解しか 持ち合わせていない人間が首相になっているという危険性であり、立憲主義の墓堀人になる危険性である。 以上。
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