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0458 不器用、まっすぐな人達へ 笹井明子 2013/01/23 22:17:33
「息子らよ われの非命を悲しむな 不器用ますぐなる 父をし誇れ」。

これは、1月23日の東京新聞「こちら特報部」で紹介された、2010年7月までの一年間アルジェリア・アルズーでLPGプラント建設に携わった元拓殖大学客員教授木本あきらさんが、赴任が決まった時に息子に送った辞世の句である。

今回のアルジェリア人質事件で犠牲になった方々も、こうした覚悟と誇りを胸に現地で頑張ってこられたのだろうか。その気高さと、それを欺くような無惨な最期を思うと、痛ましさに胸が張り裂ける思いだ。今はただご冥福を祈るばかりである。

日本企業の進出やNGOの活動などで、今も多くの日本人が世界の様々な地域で奮闘、活躍している。そしてその献身ぶりや優れた技術力は高く評価され、現地の人々の信頼を勝ち取っているという話も、これまでしばしば耳にしてきた。

理不尽な死や圧倒的な犠牲を美化するつもりは無いが、このように海外の過酷な条件の下頑張っている人達の「不器用、まっすぐ」は、東日本大震災時に被災地の人達が示した忍耐強さや勤勉、彼らを支援しようと駆けつけた大勢のボランティアの善意や献身に重なる「日本人の美徳」ではなかろうか。

だがその一方で、日本の政治の空虚さ、無様さは一体何なのだろうが。震災の復興支援は食い物にされ、原発事故の不安は解消されないまま、2%のインフレターゲット導入で景気回復が確約されたかのようなはしゃぎ振り。2020年オリンピック招致の狂騒で、国民の気持ちとは乖離した「元気」の演出。教師暴行による自殺事件では、大阪市長の見当違いな介入と市教委のおかしな折衷案の提示。

国民「全体の奉仕者」であるはずの政治家も官僚も、派手なパフォーマンスや事なかれ主義に明け暮れて、人々の忍耐強さや善良さを良いことに、あるいは権力を振りかざし、あるいは国民の痛みに目をつぶって偽りの繁栄を演出することにやっきになっている。

今回の人質事件は、そうでなくても震災・原発事故で打ちのめされ、政治のうそ臭さにやり切れない思いを抱いている私たちに、追い討ちを掛けるように、世界情勢の厳しさと、リスクを背負いながら海外で働く同胞が直面する現実の過酷さを突きつけた。この逃げ場の無い絶望と困惑から抜け出す道はあるのだろうか。

今私が感じているのは、結局は、仕事や暮らしの中で地道な営みを続ける人たちの存在そのものに唯一の足掛かりがあるのではないか、ということである。

そうであれば、私たち自身、虚無に陥ることなく自分の暮らしを大切にし、派手なパフォーマンスに惑わされること無く政治に向き合いたい。来る参院選に際しては、国民の痛みを共有し、国民の命と暮らしのことを真剣に考え、地道に実績を重ねようとする候補者・政党を見極め、選択したい。

そうした自覚ある選択の積み重ねによって真っ当な政治を手に入れた時、初めて「不器用、まっすぐ」な人達のあまたの犠牲に対しても、真っ直ぐに向き合うことができるような気がしている。