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0457 吉田茂と憲法を歪めた悪党たち 蔵龍隠士 2013/01/15 12:26:24
 徒然なる侭に、日本国憲法を歪めてきた、その大まかを見たい、示してみたいと思い立ったが、なかなか。元々、その俯瞰図は、私の中には、なかった…。未だまだ、矍鑠として体の中に、その俯瞰図をお持ちの方はいらっしゃるのだろうとは、思われるのだが。
 身に余ることとは言へ、時節柄、敢行してみたいと、思い立ち…
 「吉田茂と憲法を歪めた悪党たち」と銘打ちたかった、右代表は、吉田茂が、最高裁長官人事について固執した田中耕太郎である。田中耕太郎には、次のような経歴がある。=1945年10月には文部省学校教育局長に転ずる。1946年5月に第1次吉田内閣で文部大臣として入閣。文相として日本国憲法に署名。6月に貴族院議員に就任。1947年に参議院選挙に立候補し、第6位で当選。緑風会に属し、緑風会綱領の草案を作成。その後も文相として教育基本法制定に尽力した。
 1950年に参議院議員を辞職して、最高裁判所長官に就任。閣僚経験者が最高裁判所裁判官になった唯一の例である[2]。長官在任期間は3889日で歴代1位。最高裁長官時代の田中の発言として有名なものとして、後に「世紀の冤罪」として世間を賑わせた八海事件の際に、マスコミが検察側や判決に対して展開した批判や、弁護士の正木ひろしが著書『裁判官 人の命は権力で奪えるものか』で述べた批判に対しての「雑音に惑わされるな」という発言や、松川事件の下級審判決を「木を見て森を見ざるもの」という発言などがある。最高裁判事に思想検事系列の池田克が起用されていたように、「治安維持の一翼」を積極的に担ってゆく方針の下、「公安事件」には厳しい判断を下していった[3]。
 砂川事件で政府の跳躍上告を受け入れ、一審破棄・合憲(統治行為論を採用)の判決を下す…
 最高裁判所長官就任後に、「田中長官、共産主義の仮面を痛撃『目的は憲法の否定』」と報じられるなど、田中自身は戦前も戦後も、一貫して反共主義者であった。
 最高裁判所長官 第2代:1950年 - 1960年 この超長期に亘る司法・支配が、今日の裁判所制度を方向付け、確立して、退任・外遊にでたのでは。
 砂川事件・大法廷判決(裁判長・田中耕太郎長官)1959年12月16日、<因みに、伊達判決は、1959年3月30日!!>「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)。この短期のやっつけ仕事が、日米同盟に配慮し優先案件として扱わせる、統治行為論の採用などが、最高裁判所の行政・立法への追認機関化を決定づけたのではなかろうか。本来の日本国憲法の有り様としては、ほかにあったのでは。
 さて、この「砂川事件で政府の跳躍上告を受け入れ」の件であるが、田中が、事前に、駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と面談し、跳躍上告の知恵を貸した、とする記事・事実があったように、記憶する。=記事抜粋「1審判決(伊達判決)の翌日にダグラス・マッカーサー2世・駐日米大使(以下当時)が藤山愛一郎外相に最高裁への跳躍上告を勧めたことや大使が田中耕太郎最高裁長官から上告審の時期見通しを聞いたことを示す文書が見つかったのだ。」
 つまりは、「憲法を歪めた」悪党の冴えたる者は、米国政府となろうか。昔も今も変わらない…。日本国憲法・原案をものした、当時のGHQ・民政局の若い、理想主義に燃えた初志は、朝鮮戦争や米国の覇権主義の前に、『再軍備』へと、大きく歪められた。当然、その限りでは、人権も歪められよう。但し、再軍備、歴史を修正しようとする考えとは、無関係に進めようとすれば、進められようが。歴代自民党政権は、歴史修正主義の傾きを、強めてきたのやも知れぬ。特に、現在の、安倍コベ政権は。
 ところで、こうして彷徨っている間に、『小説 吉田学校.mp4』なる動画、映画に遭遇した。未だに、というか、猶というか、ユウチューブにも残っていた。
 昭和23年の第2次吉田内閣から昭和29年の辞職までを描く(限りなくノンフィクションに近い)政界ドラマ。と下記に、記されているが、私には、検証しようもない…虚偽やデフォルメはあっても、何かしらの手がかりにはなるのかも。
 http://www.tante2.com/yoshida-gakko.html
 映画 小説吉田学校  吉田・鳩山抗争史 戦後政治史/
 http://www.youtube.com/watch?v=0hAAD-dw5uM
 小説 吉田学校.mp4
 対米従属の嚆矢は、吉田父子の誇る対日講和と別に、同時進行した、日米安保・地位協定(後に、日米行政協定)にあるのではないか。米国政府による、占領乃至占領状態の継続=合法化だ。
 余談だが、この映画の中の、田中角栄、若い頃から大活躍です。(日本の)独自性発揮志向のある、氏は、終始、米政府から疎まれ、嫌われていたのやもと思う次第。徒然になる侭も、この辺で、お開きに。

 ◎ 参 考 ◎
 
 http://homepage3.nifty.com/constitution/materials/sengo.html
  戦後憲法史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E
 田中耕太郎 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%A0%B4%E8%89%AF%E5%85%AB
 草場良八 - Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 砂川事件 - Wikipedia
 http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/55025307.html
 弁護士阪口徳雄の自由発言: 砂川判決における最高裁の歴史上最大の汚点(司法・裁判35)
 http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2009/03/post-b89a.html
 ささやかな思考の足跡: 砂川事件:元被告が「日米密談記録」の開示を請求 2009/03/05
 >砂川事件:元被告が「日米密談記録」の開示を請求(毎日新聞)