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0453 Re: 護憲コラム 名無しの探偵 2012/12/25 20:38:59
「逆説の近代」

「秩父事件」を再考しているときにこれまでの研究者が歴史家としての立場で秩父事件にアプローチしているために明らかにされていない問題に出会うことになった。
それは法律学的な視点からの問題点である。秩父事件が起きた明治17年という時間軸は日本の法制度の歴史にとっても大きな曲がり角(ターニングポイント)でもあったのである。

それまでの法制度においては特に裁判史上では、旧幕時代の慣習を尊重していたために金を借りていた質権設定者(借主で土地の所有権者)はある程度の期間例えば10年以上でも金を貸主に返せば土地を取り戻すことができたのである。これは
幕府の法制度を元に明治以降でも裁判で認められてきたのである。

しかし、明治17年位を境に3年以上経過すると
借主が金を返そうとしても裁判で3年経過した時点で所有権は貸主に移転して貸主はこれを競売に
付して金銭を受け取り土地は競売で落札した人に
所有権が移転してしまう判例が確立したのである。

法律的な図式としては以上に尽きるが、近代的所有権制度への移行という法の歴史実態を明らかにするという問題構成を立ててみると秩父事件の問題がこれにクロスオーバー(交差)してくるのである。

以上のような裁判上での判例の転換があったのだと言ってみたところで実際に松方デフレ(紙幣整理)と国際貿易上での生糸相場の暴落による価格の半減という問題に直面した秩父地方の養蚕農家は借金が2倍になってしまい、そうでなくても高利で金を借りているのであるからとても返せる金額ではなくなっている。

そこに明治17年を境に3年以上経過すれば貸主は抵当(この場合は質権)に入っている土地を競売に付すことが出来るという判例に転換している
わけであるから借主の養蚕農家は身代限り(破産)に追い込まれることになる。

こうして近代的所有権制度の論理が旧幕時代の慣習(何年経過しても借金を返せば土地を買戻しできたという法慣習)を排除していくのであるが、
養蚕経営の本拠を失い何の生計の途を持たない農民は事実上「死ね」と言われたのと同じなのである。
こうした近代の法制度の下に経済的な死活問題に
直面した秩父地方の農民が旧幕時代から続いた「
農民一揆」を決行することになったのが秩父事件であったのである。

旧幕時代の法慣習はそうした農民がというか村落
自体が土地を奪われることがないように「田畑売買禁止令」を敷いて農民の土地喪失を防いでいたのである。
これは質権設定の場合にも何年経とうが「金を返せば」土地の買戻しを認めていたのである。
こうした法慣習を法社会学では「生ける法」と言ってきた。

しかし、明治17年を画期として近代(的土地所有権)が旧慣を排除して農民は生きる場としての
農地を金融業者に奪われていくことになった。
この状況の変化が以後寄生地主による土地の集積
許し天皇制的地主制度に道を譲ることになる。
この歴史的な転換点を見ずに「秩父事件」という
暴動があったという歴史の事実だけを伝えるだけでは盲点としか言いようがない。

日本の土地制度の歴史の「逆説的な近代」がそこにある。
               以上。