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0446 老人の生き甲斐 鈴木建三 2012/11/03 09:37:15
このところちょっと背骨を怪我して虎ノ門病院の分院に一ヶ月ばかり入院してしまった。
 
八十三歳の老人がこういう一種浮世離れした、といってもそこの人たちは毎日物凄くよく働く人たち、看護師さんetc,etc が多いのだが、わたしのようなあまり動きようのない老人が一日中ベッドにいると、昔の思い出に浸ることが多くて、私の場合十代後半から二十代前半、つまり戦中戦後の世界である。

それで特によく思い出したのが、戦争直後のことで、それでも私はいわゆる旧制高校生のはしくれで、もっぱら西田幾多郎さんのいう「直接経験」の事実というのは、あまりものを考えない赤ん坊でもちょっとなぐれば泣くということでも判るように、こっちの方がコギトウ・エルゴー・スム、我思うゆえに我在り、などということより先にあるのだといっているのだと考えて納得したりして、餓死寸前の現実とは無縁の生き方をしていた。

また、ある時、姉がどこからか拾ってきたアイケルバーガー中将の、アメリカの精鋭第八師団の兵隊さんが拙宅に遊びに来ていた。この青年たちは実に天真爛漫、ほんとうにいい青年たちで、強兵たちだから意外に礼儀正しく、しかし余計な物思いなどしない連中だった。

こういった連中の世界を、変にインテリぶった少年の私が横目で見ていたことなどを懐かしく思い出していた。そして、こういった生活の世界が私の原点のような気がしていた。

ところが、この病院の看護師さんたちは二十代前半の人が多かったから、太平洋戦争や戦後の世界などというのは、それこそ桃太郎伝説ぐらい古い話で、東京が丸焼けになったというと、「では、ビルがみんな焼けたのですか」などと聞かれる。

考えてみれば、わたしの二十歳のときの日清、日露戦争より昔のことだから、これはまったく無理のない話である。

しかし私が戦争や飢えの話をすると、意外に非常にまともに興味を持って話を聞いてくれる。石原氏や安倍氏の危険なこともよく判ってくれる。

だから私は、自分の役割はこういった、私とは別世界の現在の若者たちに、ある意味では老害であることを覚悟して、せいぜい長生きして、上手に昔話をすることだと身にしみて判った。