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0439 人類史か今の生活か 鈴木建三 2012/09/12 01:40:00
 この間深夜のテレビを見ていたら、(途中だったのでその情報の出し手は明確ではなかったが、なにやら政府筋の機関の発表らしかった)、原発をやめて火力だけにすると、電気料金がはるかに高くなるとか、原発をやめて発電を風力や日照利用だけにすると、その設備を作る費用が何兆円とかかかるといった情報ばかりが報告されていた。
(この前提は、今と同じ生活をするための計算だとは断っていなかった)
 しかし私には、核燃料やその使用済み核物質が、我々の生存をはるかに超えた、ある種の核分裂は、半減期が二万四千年といった、超歴史的とさえ思える長期間放射能を出し続けるものであり、我々はこれを止めることは出来ないということが何も言われないのが不思議であった。
 こういった人類史的な見地で考えた場合、そのことに言及しない最初に述べたような情報は、それを意識しない人は、電気料がやたら値上がりしない方がいいと感じてしまうかもしれない。そしてこういった情報を流す連中は、いわゆる有識者、つまり科学や経済の専門家集団であろう。
 しかしよく考えてみると、人間の行為の善悪を判断できるのは科学でも経済学でもないのは、たとえば人殺しが悪であることは科学でも経済学でも証明できないことを考えてもすぐ判ることである。
 原発を稼動しつづけることが悪であると考え、それを止めなければならないと考えるのは我々の倫理である。
 考えられない長期間子孫に害悪を流し続ける物を、わずか百年程度しか存在しない我々の現在の生活程度を維持するために稼動し続けることは許されることではないと私は考える。自分たちの生活水準がいくらか低下しても、その危険な「道具」を使うことは直ちに止めるべきである。