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0437 日韓関係の拗れに思う 笹井明子 2012/08/29 23:11:36
8月も間もなく終わろうとしている。これまで8月になると「あの戦争」に思いが向かい、内省的になるのが自然な心の動きであった。しかし、東日本大震災・福島原発事故以来、現在進行中の惨事に気を取られ、67年前に原爆を落とされた広島・長崎の当事者は、いま原発をどう捉えているか、という視点でしか関心を向けることができなくなっていた。

そんな今年の8月に唐突に繰り広げられた、李明博韓国大統領の竹島上陸、オリンピック男子サッカーに於ける韓国選手の竹島(独島)領有を主張するパフォーマンス、更に李大統領による「天皇謝罪要求」という一連の行動は、国際ルールや国家間の儀礼から逸脱する、理不尽で挑発的な示威行為に感じられた。

「なぜ?」という思いを抱きながら、ことの成り行きを見ていくうちに、はたと気付いたのは、日本の「終戦記念日」は韓国の「光復節」だという事実だった。大震災・原発事故のショックで、私たちが過去の戦争に思いを巡らすことを止めてしまった一方で、韓国にとっては、今年もその日は日本の植民地支配を生々しく想い返す日だったのだ。

その事実に加え、昨年来両国首脳間で顕在化した従軍慰安婦問題の認識の食い違いや、今年6月に「少女像」に「竹島は日本の領土」と書いた杭を縛り付けた日本人の行為があったこと(8/26東京新聞「新聞を読んで」参照)を考え併せれば、韓国大統領や韓国サッカー選手の言動も、コモン・センスを欠いたものであるにせよ、唐突ではなかったことが理解できる。

政治的には、領土問題も従軍慰安婦問題も、決着済みということになっており、現段階では平和共存の維持を大前提に、外交手続きに従って‘粛々と’対処することが求められている。従って、韓国側の行為に対し、日本側(JOCあるいは日本政府)が比較的冷静、かつ毅然として、ルールに則った対応をし続けたことは、大枠支持できる。

その一方で、「挑発には挑発を」といわんばかりの発言を繰り返して、偏狭なナショナリズムを喚起する都知事や、外交の困難な局面をも政争の具にしようと、重箱の隅をつつくような質問を繰り返して国会を空転させる自民党議員たちには、憤りを感じずにはいられない。彼らは、日韓両国民の相互不信を増殖させ、武力行使に繋がる過激で感情的な対立を生じさせることを望んでいるとしか思えない。

しかし、冷静に考えれば、面子争いのような事由で対立を深めることは双方の国民に何らメリットにならないことは明らかだ。従って、何らかの理由で政治的な衝突が生じたとしても、私たち自身は国民同士に決定的な亀裂を生まない、さらには信頼構築のために努力するという心積りが不可欠だろう。

事実、これまでにも慰安婦問題の解決の一助となることを願って、支援活動を続けてきた市井の人たちがいる。また、8月29日の朝日新聞「記者有論」には、従軍慰安婦の問題は政治的には解決済みだが何とかもっと償いの形を作りたいという趣旨で1995年に「アジア女性基金」が生まれ、多くの市民の協力があったことが紹介されている。

参照:「デジタル記念館」
http://www.awf.or.jp/index.html

さらに、視野を広げれば、日本の若者たちの中には、アジアの人々の中に入って、彼らを援助しながら彼らから多くのことを学ぶという自然体の活動を続けている人達が少なからず存在する。

戦時中海軍民政府資源調査隊員としてニューギニアに上陸、戦後BC級戦犯となった飯田進氏は、「私は、アジア民衆のために生涯をささげようと考えた興亜青年だったから、戦争のとき、真剣にアジアのことを考えた。・・・白人諸国に虐げられた民族を解放してやろうと思ったんだね。その思い上がりと間違いを戦後、嫌というほど思い知らされた。解放すべき住民から、あれほどの憎しみの目で見られたという事実によってね。」(「未来に語り継ぐ戦争」岩波ブックレット)と語っている。

過去に尊厳を傷つけられた人達の心には日本人の努力や善意も届き難く、日韓の平和共存は一筋縄ではいかないと覚悟すべきだろう。しかしそれでも、東日本大震災の際に現れた人々の節度や誠実さ、ボランティアに駆けつけた多くの若者の持つ思いやりや柔らかな感性の中に、問題解決の糸口があると信じたい。

終戦から67年、平和を壊さない道のりの険しさに再び直面させられて痛感するのは、飯田氏のような先人の言葉に耳を傾けることの大切さだ。今や戦争体験者の声も次第に小さくなってきているが、「あの戦争」を風化させることなく、謙虚に学び続けたいとの思い、しきりである。