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0429 暴走する日の丸ドジョウ 猫家五六助 2012/07/02 23:23:13
 流水さんのコラムを拝読し、戦争の虚しさとともにその本質をあらためて考えました。皇軍が片道キップの戦艦大和を特攻させた時代、他国の軍隊には特攻はおろか「死んで来い!」という思想はなかったと云われています。

 熟練した兵士は兵器・作戦の質を高めますから、欧米の兵器・作戦では「兵士の生存率」が問われました。つまり、「いかに生き残り、生還するか」ということです。それは兵器の設計や兵士の装備、兵站の考え方でわかります。対する皇軍は、貴重な熟練兵が「天皇陛下のための立派な死に様」の手本であり、捕虜になるなら死ね!と教育されていました。沖縄戦においては、機密保持うんぬんで民間人にまで自決を強要したわけです。

 太平洋戦争において物量・資源に大差があったとはいえ、日本軍が負けたのは補給・兵站・休息・生存を軽視した「突撃!」「特攻!」「死んで来い!」思想にあったように思います。生き残るための国同士の戦争で「立派で美しい死に方」を正当化する。日本兵1名の死で敵兵を何名殺せるか。それが1対1の数字に陥っても「一億玉砕」を叫ぶ。しかし、そこには最初から天皇・皇族・大本営・軍幹部は含まれていないのですから。結局、広島と長崎の原爆被害を見て、国民のためではなく血統と自称エリートが生き残れなくなると危機感を持ち、玉音放送に至った・・・と考えるのは邪推でしょうか。

 そして、終戦から67年目に原発の再稼働。フクシマの避難民が生き地獄でも、福島原発の事故処理に見込みが立たなくても、処理手段がない核廃棄物が増え続けても、大飯原発の安全性が確保されていなくても再稼働させてしまうドジョウ政権の厚顔無恥さ。もしかすると、ドジョウの飼い主は原子力ムラではなく、67年前の懲りない面々、その思想を引き継いだ輩では・・・とさえ考えてしまいます。私は満州事変〜太平洋戦争へと突入する日本を止められなかった状況をイメージし、背筋が寒くなりました。

 例えば、石原都知事。国家がやるべき尖閣諸島の領土問題には心血を注ぐのに、都民の脱原発署名には「国の問題」と否定する。東京都は東電の大株主なのに、東電への批判・提案は猪瀬副知事に任せっ放し。核武装論を支持し東京五輪を国威掲揚と言い放つ石原都知事の姿は、「原発=核兵器への転用」というカードを温存するために原発再稼働を容認しているのでは、と疑念さえ持ちます。しかし、都議にも知識人にも表立って彼を批判する声は出ていません。

 自民党の改憲案も然り、原子力基本法の改悪も然り、国旗国歌を強制したい面々も然り。日本外交・外務省の無能さ、幼稚さを批判も改善もせず、戦争ができる自衛隊にしようと画策する。ステルス性能を備えたF−35戦闘機を言い値で買う。米国の言い訳を鵜呑みにし、事故多発するオスプレイを配備させる。自民党から政権交代したのに、こんな民意無視・暴走が許されることに呆れ、嫌気がします。

 その救いを拡大する反原発デモと「緑の党」出現に見い出したので、応援したいと思います。