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0428 死に方用意! 流水 2012/06/26 20:31:17
【男たちの大和】という映画があった。
佐藤純也監督、反町隆史主演の戦争映画。戦艦大和の悲劇的な最後を描いた作品で思想色は比較的薄い映画だった。
http://movie.maeda-y.com/movie/00644.htm
YOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=HZ3L-ETex-U

わたしが一番印象に残ったシーンは、いよいよ敵との決戦を控えた大和の甲板に設置された銃座の背後の鉄板に、白チョークで【死に方用意】の文字が大書された場面だった。説明は不要だろうが、「打ち方用意」にかけた乗組員の覚悟の言葉である。

【死に方用意】に込められた若い兵士たちの覚悟は、何なのか。この言葉が重いのは、【死に方用意】の背後に【生き方用意】がないことである。文字通りの【死に方用意】なのである。否、この言い方は正確ではない。正確に言うと、【死に方用意】というのは、「戦い方用意」の覚悟の言葉である。「戦い方」=「生き方」という思想の表現であろう。

この言葉に、若い兵士たちの迷い、悩み、苦悩が込められている。人の人生は、「戦い」である、と考えるなら、この言葉はすんなりと受け止められる。しかし、人の一生は、そんなに単純ではない。「戦い」もあるだろう。喜びも悲しみもある。「愛」もあれば「恨み」もある。「希望」もあれば「夢」もある。「諦め」もあれば、「達成感」もある。
それら全てをひっくるめて、【生き方用意】なのである。

若い兵士たちは、それらを全て振り捨てて、【死に方用意】=【戦い方用意】に自分の心を収斂した。戦前なら、彼らの覚悟は、【散華の精神】として、美化されたであろうが、戦後のわたしには、彼らの哀れさが惻々と伝わってきた。
大和の死者、約3000人。ミッドウエイ・レイテ沖海戦で壊滅状態にあった連合艦隊に最後に残った戦艦が、制空権も失い、護衛艦船もなしに、沖縄へ向かう。まさに自殺行為である。世界の戦い方が、航空戦に移り、航空母艦こそが海軍の主力に移っていた時代、大艦巨砲主義にこだわった時代錯誤の象徴が大和だった。そのアナクロニズムの犠牲にな
った若い兵士たちの覚悟が、哀れでならなかった。

消費増税をめぐる民主党内の若い代議士たちの大混乱を見ていると、大和乗組員の若い兵士たちの悩み、苦しみが今更のように身に沁みて見える。しかし、大和の兵士たちは文字通り【命】を賭けたが、民主党の代議士たちは、命までは取られない。
しかし、大和の兵
士たちにはその後の人生はなかったが、民主党の若い連中には、その後の長い人生が待っている。どちらのほうが、より【重い覚悟】が必要なのかは、軽々には語れないかも知れない。【生き延びる】という事は、それだけ【恥】を重ねるという事でもあるから。

「大和」の兵士たちもそうだが、この一戦に賭ける、というのは、自らの思考を削っていくことである。あらゆる雑念を削りに削って、思考を一点に集中していく。この削り方に、その人の思考の深さが問われる。

以前にも何度か指摘したが、市井に生きる人間は、「語る⇒生活する」というサイクルで生きている。「語る⇒書く⇒実践する(支配する)」というサイクルで生きる【政治家】のように、【書く】【実践する(支配する)】という次元に上昇する事はない。
大和の兵士たちは、【語る⇒生活する】というサイクルで生きる事を許されなかった人間たちの悲劇である。自分の命は元より、家族、恋人、友人たちとの決別を、自分の意志ではなく他者(国家)に強制された人間たちの悲劇である。

しかし、政治家は違う。「書く⇒実践する(支配する)」という次元での行為は、必然的に多くの他者との軋轢を生み、敵を生み出す。それは、政治家と言う職業を選択した人間の宿命でもある。
【死に方用意】は政治家にとって避けては通れない宿命なのである。

その意味で政治家の言葉は、自らの世界観(※人生観も含む)と時代認識を込めた政策論を語らなければならない。語る言葉一つ一つが、自身の世界観(※人生観)がにじみ出たものでなければならない。
野田総理の言葉が、響かないのは、言葉の奥から滲み出る世界観がないからである。

【死に方用意】。 民主党の議員たちは、政治に人生を賭ける覚悟を胸に【死に狂い】(※葉隠れの言葉)で今回の増税法案に臨まなければならない。