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0424 本土復帰から40年、沖縄の現状と課題 笹井明子 2012/05/28 21:34:21
今年5月15日に本土復帰40年を迎えた沖縄。その沖縄の現状と課題を知ろうと、5月25日、命どう宝ネットワークの太田武二さんのお話をうかがう「学習会」をしました。

今から60年前、サンフランシスコ条約と日米安保条約によって、日本は琉球諸島を米軍政下に売り渡すことと引き換えに自らの独立を回復、復帰後も今に至るまで米軍基地を沖縄に押し付けてそ知らぬ顔をしてきた日本の人々。太田さんは、そんな日本(ヤマトゥンチュ)に対する沖縄(ウチナーンチュ)の怨念について具体的な話をしてくれました。

実際、1945年から2011年までの沖縄に於ける「米軍による事故・犯罪 略年表」(「フクギの雫」実行委員会作成)を見ると、事件・事故が恒常的に起きていて、米軍基地がなければ起き得なかった犠牲の異常な多さに圧倒されます。

そして、沖縄の人々を怒らせているのは数の多さだけではありません。ヴェトナム戦争時、沖縄で枯葉剤が実験的に散布されていたという疑惑。1959年6月に起きた宮の森小学校へのジェット機墜事件の真相。この事故でパイロットは海上に向かっていた機体をわざわざ旋回させて陸上に向かい、結果として17名の死者と200人以上の負傷者を出したとのことです。

更に、事故が多発しているオスプレイの普天間基地配備計画や、今年4月の「2プラス2」において対中戦略の強化を話し合う中で「ミサイル3発で沖縄の海兵隊はすべてやられる」としたアメリカ側の発言など、沖縄住民の生命に無頓着な日米政府の防衛戦略があります。

こうした具体的な事件・事故、日米政府の言動を通して、沖縄を「捨石」と捉えている日米政府と、それを支える日本国民=「ヤマトゥンチュ」のあり方を、沖縄の人達は沖縄差別と感じ取っているのです。

しかし実際には、国政に携わる人達の「人命や人権の軽視」、「国家繁栄のための犠牲の是認」、「札びらによる説得への妄信」は、沖縄にだけ向けられているわけではありません。福島原発事故により明らかになった原子力施設設置の在り様は、米軍基地の沖縄への押し付けと同じ構造であることを、今私たちは知っています。

太田さんは、本土復帰から40年の今、日本全体の状況はますます悪くなり、日本人の意識から沖縄はますます遠のいていると指摘します。しかし、そんな絶望の中にあってなお、沖縄住民の「NO」の意思表示の継続の中で、多くの素晴らしい出会いがあり、そこに希望を感じるとも言います。

沖縄の人達は「非暴力直接行動」と「独立運動」を掲げて今も着実な歩みを続けています。そして、現在日本全国に起きている「脱原発」に代表される様々な直接民主主義的行動や、地方自治体による中央政府に対する異議申し立ては、魁となったこうした沖縄の人達のゆるぎない行動によって牽引されていると見ることができます。

私たちにとって、直接沖縄に出向いて米軍基地撤去に向けた行動を共にすることは難しいかもしれません。しかし、住民の命や人権をないがしろにする「権力」との対峙という意味において、沖縄の人達の闘いと心を一にして、沖縄の行方をこれからも見つめていきたいと思います。