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0421 日本人の思考形態とは? 流水 2012/05/07 21:40:10
今ほど日本と日本人のありようが問われている時代はない。先日もこのコラムで鈴木さんが「小日本のすすめ」を書かれていたが、一つの見識であろう。

わたしは、日本と日本人の思考形態は、世界でも例外的な存在ではないかと考えている。一言で言うと、「他国や他者との比較でしか自分を語れない」文化だと思う。

歴史的にみれば、よく分かる。漢字の伝来は、6世紀とされているが、その後日本の公用語は漢字となった。それ以前の日本人たちが文字を持っていたかどうかは、はっきりしないが、漢字伝来以降は、漢字が簡単に主役の座を奪った。

しかし、ここからが、日本独自の発達の仕方をする。漢字では表現しきれない本音の部分を「仮名」文字で表現した。これは言語学的にいうと、【表意文字】と【表音文字】を併用した言語だという事。このような国はかなり特殊で、現在に至るまで使用している国は、ほとんどない。

わたしたちの日常を考えれば誰でも思い当たるが、役所など公の仕事の場面では、主に【漢字】が使用され、何となくお固いイメージがある。それに反して日常の場面では【仮名】言葉が主に用いられる。

日本人の【お上意識】の淵源を辿れば、漢字の仮名文字に対する優越があるはずだと思う。日本における民主主義の確立のためには、仮名文字の漢字に対する位置の平準化が不可欠だと考えられる。

しかし、【表音文字】と【表意文字】が併用された文化は、日本文化の特殊性と同時に独自性を育んでいる事を忘れてはならない。

いまや日本の漫画は世界を席巻しているが、漫画の絵は、【表意文字】としての機能を果たし、吹きだしは【表音文字】としての機能を果たしている。日本人は誰でもそれを無意識のうちに脳内でそのように処理している。・・(養老孟司説)

実は、この独自性を普遍化して語る人間がいない、というのが日本や日本人の思考形態の特殊性なのだと思う。

漢字に象徴されるような外来文化や権威に自らを仮託して語る事は得意な人間はいても、漫画のような独自の形態を普遍化して【世界基準】として主張する人間はほとんどいない。

自らの主張を【世界基準】として語るという事は、自らの主張に責任を持つ、という事と同義である。

しかし、そうではなくて、外部のどこかに権威があり、外部のどこかに【正しい主張】があり、わたしたちはそれを目指して頑張っているというのが、日本や日本人の思考形態だと思える。

そうなると、自分や自分たちは劣っているのだから、間違っても【責任】を取る必要はない、という事になる。

実は、菅直人・野田佳彦をはじめ仙石・枝野・前原などの思考形態は、上記の日本人の歴史的思考形態そのままである。

それに加えて新自由主義的【優勝劣敗思想】で味付けされているのだから、手がつけられない。彼らは常に外部の権威に仮託して語り、外部の権威に仮託して権力をふるう。

戦前の天皇制国家の価値基準が、【天皇との距離】ではかられ、その権威に仮託してどんな非道な行為も行えた、という心性と何の変わりもない。丸山真男が指摘した【無責任】国家の現状は全く変わっていない。

日本の政治は、世界基準の位置を獲得しつつある【漫画】の独自性こそ見習うべきであろう。