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0420 Re: 護憲コラム 名無しの探偵 2012/05/01 22:39:58
立憲主義・民主主義・平和主義

日本における近代憲法に関する議論においてこれまで上記の三原則は並列されてきた。立憲主義と
民主主義が対立することはなく平和主義と民主主義も対立することはありえないという素朴な並列主義が憲法教科書や政治の教科書などにまた市民運動でも素朴な表現が採用されていたと記憶する。
しかし、アメリカの軍事的単独主義が目立ってくる21世紀に突入するとこうした素朴な考え方が
錯覚ではなかったかという疑問が起こる。そこでは民主主義は国家的な伝道師のように毎日語られてきたからであり日本の戦後民主主義はアメリカ的な民主主義の受け売りだったという側面もまた
真実だったのである。
そしてアメリカの思惑は現在日本の憲法改正を標的としていると思われ直接的には憲法9条の改正にターゲットが絞られる。
少し先走りすぎたので話を戻すと、成る程普段は
民主主義と立憲主義が対立することはないが、憲法の改正という局面では深刻な対立に及びかねないのである。これまでの議論は民主主義と立憲主義を言わば「静的」に捉えていたが憲法政治は「
動的」なのであり素朴な並列主義は政治的な変動を視野から排除してきたのである。
立憲主義という原則は政治に外から歯止めを掛けるという原則であり、前の世代の決定(憲法の設定)が現在の世代の決定を自己拘束する(プレコミットメントの原則と言われる)という問題である。
したがって、憲法9条を現在の世代の代表が恣意的に改正変更することは禁止されていると解釈される。ただ禁止されるのは「恣意的な変更」であり。ある程度の変更は憲法改正手続きが存在する以上許容される。しかし、この表現は学理的な言い方であり、代表機関(国会)が恣意的な変更を
決定した場合には憲法上の混乱は起こりうる。
例えば、憲法9条を根底から変更して交戦権を認めたり集団的自衛権を認めるような憲法改正がなされる場合である。
次に、最近の憲法論の傾向として長谷部恭男東大教授の議論が立憲主義と民主主義の問題に重要な
提起をされている。それは憲法9条が公共財とも言える武器の所有や軍備の保持を禁止するのは立憲主義に反するという議論である。
長谷部教授の独特な立憲主義の理解から近代国家が武力の保持を自衛権として備えるのは当然のことでありこれを禁止する9条解釈は立憲主義から
疑問であると言うのである。
しかし、長谷部教授は9条を改正してなくしてしまえとは言わず憲法9条は「準則」ではなく「原理」にすぎないと言われており立憲主義に反するという説明をしておきながら「原理」であるという。これは明らかに自家撞着ではないのだろうか。(注、「準則」ということは9条の規定が軍隊の保持を禁止し、交戦権を否認することであり、結果自衛権も認めない。)
長谷部教授の巧妙な9条解釈は自衛権の保持を現行憲法下で容認する解釈論であり、政府の「解釈改憲」の歴史を憲法解釈から一気に肯定できる憲法の解釈である。
以上、憲法改正の恣意的な変更は現行憲法上認められない。
また、長谷部教授のような立憲主義理解も独自の
解釈であり、立憲主義の原則は従来どおり憲法上の原則(基本的人権の尊重、国民主権、平和主義
 )は政治権力:国家の行為を 拘束するという原理 でありこれ以外の 解釈はありえない。            以上。