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0413 二・二六の結果について 鈴木建三 2012/03/08 16:02:27
二月の二十九日に大雪があったので、私ぐらいの歳の者は、少年期の一番の大事件、二・二六のことをつい思い出してしまう。これは私のいたすぐ近所で、その時の私ぐらいのお嬢さんの面前で渡辺さんが虐殺されたせいもあるかもしれない。

今は随分昔になった二・二六事件は、日本現代史において非常に重要な事件だと私は考える。

もちろん、日本が明治以降対外侵略を初めたのは、文化的な西欧化による条約改正の努力の失敗、ビスマルクの演説に感化された日本の政治家が採った政策、すなわち、勝海舟の猛烈な反対にも拘らず、日清戦争を強行した時から始まっている。

しかし、第一次大戦の結果の平和主義は日本にもある程度の影響はあったにも拘らず、その後の大恐慌その他によって日本経済が大きく破綻し、農村や労働者の生活が物凄く苦しくなり、その背景の下にロシア革命の影響による共産党の勃興があった。その弾圧によって日本全体が閉塞状況に陥ったにもかかわらず、議会政治のはずの日本政界はなんら大きな見通しを持たない保守二大政党によって支配されていたのである。

この状況の下での無知な若手陸軍軍人による革命ごっこがこの二・二六事件である。この事件の詳細な研究は、大部の四巻本の『二・二六事件秘録』を始めとして物凄く多い上に、その事件を起こした若者やその妻子に至る研究まで出ている。しかし、軍部によるこの革命ごっこの結果が何であったかについては驚くほど研究が少ない。

私は人殺しも革命ごっこも嫌いな古風な自由主義者として、ここできわめて簡単にこの点について結論を下しておきたい。

それは、軍部の強調した統帥権の否定(天皇自身はそれを使うことを何度となく本庄侍従武官長に要請して拒否されている)と、彼等の否定した天皇機関説の全面的利用である。

そして皇道派も統制派も一致団結して、この若者の暴挙を社会の腐敗のせいにしてこの乱暴な若者を支持し、そのことによって、大勢の武装した軍人によってこの時に虐殺されたいわゆる体制側で生き残った連中すべてを恐怖に陥れ、この事件以後の日本の政治の支配をすべて、この若者たちをそそのかした荒木、真崎以下の妙な出世主義の軍人の手にまかせたのである。翌年からの日本陸軍軍人のしたことは衆知のとおり。

私は今同じようなクーデターが起こるとは思わないが、現在もどうしようもない、何の理念もない保守政党しか存在しない日本の政治状況は、保守政党自身にとってもいいことではないことを、この事件は示していると考える。