| 生存権としての居住の権利
今回は前回に引き続き、生存権の現代的展開として「居住権」の保障に触れる。 この問題に従来から積極的に論陣を張られたのは 神戸大学名誉教授の早川和男氏であった。 早川氏はこれまでの研究実践を振り返り、「早川式「居住学」の方法」(50年の思索と実践)を 2009年に上梓された。 今回はこの本を詳しく読む暇がなく、これまでの 氏の著作を参照しながら法学的な観点から居住権の憲法的な権利性に踏み込んでみたい。 法学的な問題枠からこれまで居住権が憲法上の権利として理解されてこなかったのはそれが私法の 居住権として位置づけられてきたからである。 「私法;民法上の権利」という位置づけであると 憲法的には「経済的な権利・自由」(憲法29条:財産権)としてしか理解されないことになる。 こうした法学的な立場による「居住権」の軽視では十分な保障は受けられない。私法の自由の問題になり財産権という自由競争の領野に打ち捨てられるからである。 この問題に早くから警鐘を鳴らしてきたのが早川 教授を中心とする「居住福祉論」の面々であった。 居住は人権であるという認識から政府の無策を批判して、その持ち家政策一辺倒では市民の間の不平等を増長させるだけであるとして1960年代から居住貧困の撤廃を論じてきた。 1970年代当時日本を視察したECのイギリス代表は「日本人は『ウサギ小屋』に住む働き中毒」 という報告が話題になったほどでるが、日本政府はその『ウサギ小屋』批判を猛烈に反論しただけでウサギ小屋にも住めない労働者の住宅問題にも 何の政策を打ち出せず今日まで来てしまったというのが実情である。 ところが、16年前の阪神大震災と今回の関東・東北大震災で家を失った市民が急増すると事態 は深刻であり、人権としての居住権という問題は にわかに脚光を浴びることになる。 憲法を代表として法学者が私法の問題に置き去りにしてきた居住福祉論はこの大震災による緊急の 課題に最も重要視せざるを得ない論点なのである。 大正年間から民法上では居住権は特別な保護を受けてきた。借地借家法の制定によりそれまで地権者が変わると立ち退きを強制された借地権者や 借家人が居住権を根拠に住み続ける権利が認められたのである。関東大震災以後には東大の工学 部の教授を中心に被災者や貧困層を救済する集合住宅として「同潤会アパートメント」が東京の各地に建設された。(現在でも存続中のものもある) 戦後と異なり当時の建築家は社会的な使命に目覚めていたのである。そして関東大震災から80年を経た現在政府や大学などの主流は居住の権利を 私法的な財産権と理解しているので住宅政策は置き去りにされているのである。 今回のコラムは早川論文に十分触れることができないのでその問題は次回に記すことにして居住権の憲法的な問題をアプローチするに留める。 2、そうすると憲法25条は1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を 有する」として生存権が基本的人権であることを 宣言している。 そして2項では上記の生存権を保障するために国家に「生活部面について、社会福祉、社会保障、 及び公衆衛生の向上及び増進に努める」義務を 負担させているのである。 これはまさに国民の住宅保障を人権として定めた規定に他ならない。 以前に触れたプログラム規定説と抽象的権利説は この国家の責務を否定する法的な操作であり、憲法保障への裏切りなのである。 震災を受けた数十万の被災者は上記のプログラム規定説では野垂れ死にしろと言わんばかりの法律論であり到底肯定できかねる暴論なのである。 生存権を憲法が規定したことの意味でプログラム的な権利や抽象的権利の存在する余地ははじめからないと考える。プログラムを定めたのならば法律規定として定める必要性はない。それなら立法論として奉ればいいのである。税金を掛けて議会で議決する以上立法論は要らない。 次に、被災者の救済問題はさておき一番重要な論点はホームレスの人々の住宅確保の問題と住宅は あることはあるが健康で文化的な生活は困難な住宅困窮者の救済問題も政策として要求されてくる。 こうした問題を含めて次回には住宅政策は生存権の観点からどうあるべきか具体的に模索する。 以上。
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