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0402 Re: 護憲コラム 蔵龍隠士 2011/12/23 11:09:39
 民主主義のセオリーの一つ、政府或いは、当局の情報公開と説明責任から、考えてみたい。
 例えば、先日、野田首相は、東京電力福島第1原発の原子炉が冷温停止状態に至ったとし、「事故収束」宣言をした。これでは、一件落着宣言し、お終いを宣言したかに等しい。また、野田政権は、そういう印象付けをしたかったのでもあろう。
 しかし、これが、説明責任を果たしたといえるか?現に、作業員「政府ウソばかり」とか、「政府の言葉信用できない」とか、「安全宣言ではない」= 冷温停止状態達成で(原子力安全委員会)班目委員長とか、反発乃至修正発言が、伝えられている。海外ニュースは、早くからこの「冷温停止」に批判的だった。
 政府の収束宣言は、「冷温停止」自体の認識を誤らせるものであるし、冷温停止状態などという擬似・造語使用など、論外。(不安全を安全と誤認させる)ミスリード狙いと思われても仕方ないのではないか。
 これ自体、大問題だが、しかし、一歩引くと、こうしたミスリードの言葉使い、ミスリードワールドは、日常の中に、満ち満ちているのではないかと思われる。そして、労働者であり、主権者である者にも、無意識の内に受け入れられている!?のではないか? これを特に危惧する。
 我々は、我々のための、ミスリードから解放される言葉、世界を持たなければ、ならないのではないか。
 例えば、野田首相、その中でも連呼していた「作業員」という言葉、首相発言故に、そのまま(媒介者)マスコミ・紙上に「作業員」という言葉が踊り、連呼されるかのようである。しかし、こんな調子で、労働者、主権者が、事件・事故・事態を理解してゆくとすると、我々の心の中に、不都合な、差別者に有利なワールドが現れるのでは。派遣等々、そして大企業勤労者、中小企業勤労者…などと、分断された労働者乃至勤労者だけが、日本にいると錯覚することになるのではないか。引いては、これが疎外、孤立・孤独・自閉を深めるのでは…。そして、遂には、差別意識すら獲得、埋没してしまう。
 それは、互いの共鳴や共感、同情の契機を奪い、労働者の団結権など、その契機を奪うもの。といえば、言いすぎだろうか?主権者も大半は、労働者乃至勤労者の筈なのに、差別・分断された勤労者ばかりいては、その世界、末は、お寒いのではないか。昨今、地球規模で、反格差を糾弾する大運動があった。未だ、目的達成、果実は獲得されていない…。
 また、民主主義という言葉も、色々に使われる。多分に、プラスイメージで。しかし、これも、少数派を圧迫しようとする時に、便宜に使われると、憲法の大原則、個人の尊重、人権尊重を害することになる。民主主義とは、多数決的民主主義(多数が少数を打ち負かす?)ばかりではない。少数派、個人への尊重は、当然に含まれている。最近、声高に、民主主義を言う人は、「法の支配」を言わないから困る。弁護士でありながら。
 説得や説明責任を果たすより、言葉選びや騙しで、場合によっては、威嚇までして、一般大衆、市民、労働者・勤労者に、当たろうとする者、目に余る。それは、経団連や政府筋のみではない。知らないままに、メディアを介し、我々の思考自体に、潜み、支配し、そして拡大再生産していっているのではないかとも危惧される。
 今や、幸か不幸か、内外ともに、事故・事件等含め、重要課題山積、今一度、我々、労働者のための、世界理解、政治・経済・社会理解のための、ワールドと言葉を選ぼうではないか。お仕着せではなく。
 この世には、明らかに、自己都合により、真実や事実を捻じ曲げ、ミスリードして、わが利を得ようとする連中がいる。労働者の組織が弱体化させられて来たのも事実。個人が、労働者が、分断された来たのも事実。…今のままでは、広範な反格差のうねりも、直ぐには実を結ばない。転機、我々にとっても、良い潮時ではないか。反転攻勢のために。自由、人権のために。