| 青春の高度成長期に、故郷を後にして身を粉にしてK製鉄で働き、故郷に錦を飾って事業を興し、洋々たる人生が待っているかに思われたBさんが、競合の世界に敗れ、酒びたりになって家族と離別して、もう、40ウン年が過ぎています。
そして、その40ウン年の大半の30ウン年は、冷たい“壁”の中の入り、出、で暦をめくってきました。
初入りの時は「“今度はやり直す”決意で過ごしたものの、“冷たい壁”よりも、“固く凍りつく冷風”に抗しがたく、路上生活をやむなくし、矯正施設での工賃を使い果たし、背に腹は代えられず“無銭飲食”で凍てつく風を“かわしす”壁の中へ戻る・・・。」
そして、「“今度こそは!”と再出発の明日に備えて“壁”の工場で汗をながして世間の風に備えて、新たなる世間へ!がしかし、どうにもならない空腹が再び襲う中で、“凍てつく世間の風”をかわす“壁”の中の生活を選択してきた・・・。」と、Bさんは30ウン年をふりかえります。
「“一人だったけん”“嫁と子供と別れて、誰も相手にしてくれんかったし”また、”誰ンデン相談シヨウコツナカチ“思いよったケン。そして、思えばもう30ウン年はいとった」 「中にい(る)っ時、面会ば来てくれてホンによかった。ホットしたと」「やっぱ、話相手があって相談でくっとがよか。今までなかったケン、30ウン年ばかかったチ、思うとる」 「別れた時、子供は小学校のカバンバかろうとった。もう、40を過ぎとろう・・・ナ・・・。会いたいと思うが贅沢たいな・・・。」 こう語るBさん。
「もう、出てから、10ヶ月過ぎョウ。贅沢やない。生活が落ち着き、気持ちもっと余裕ができるころになってから、なんとか連絡方法をみつけて近況を知らしてみよう。そして、なんとか音信の回復へと繋ぎたいと思う。 まずは、足場をしっかり固めようね。来年が良い年になるよう、年明けには、皆といっしょに、食事会でワイワイやろうヨ」
高度成長期を支え、力尽きた孤独の中で“累犯老年者”が、人として生きていく為のホットな“絆”の回復への手がかりを求めています。
その“手がかりの一つなれば”と今日も、あの人の扉に、心臓の呼吸を集中させています。
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