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0394 人権と地方自治の今 蔵龍隠士 2011/10/24 04:48:57
 これらは、中央政府により、過去60余年、尊重されてこなかったものであろう。地方自治は、当初より、どんどん後退してしまった。自治体警察も、各地の教育委員会もそうであろう。
 地方公共団体も、市町村が本来で、都道府県は過渡的な存在(消え去る)と、かつてはされて来たのだったが。戦前からの伝統、習い性か、どっこい生きている…、但し、大阪市等、政令指定都市の場合、都道府県の事務を処理したり、都道府県の許認可を得ないで、各大臣の許認可等を受けるものとされる。結果、大阪府知事といっても、大阪市・堺市には、権限が及ばないかの如き知事権限に。…これが、面白くなかったのかどうか知らない…。
 ところが、昨今は、道州制(移行)とか喧伝され、橋下氏のように「大阪都構想」なるお話まで、現出させてしまった。如何に、日本国憲法第8章「地方自治」の本旨から遠ざかったことか。95条(一の地方公共団体のみに適用される特別法)などは、適用を只管回避しようと、政府はして来た。そのために、沖縄県で、住民投票など、一度も実施されることがなかった。遺憾なことだ。
 唯しかし、福島県矢祭町(町長と議会そして何より町民)のように、敢然と地方自治の本旨を体現し、市町村合併を拒否し、赤字団体を回避した、健全な地方公共団体もある。本来は、こうした自治体こそ、中央政府は奨励し、地方は努力すべきであったのに。…中央政府、或いは時の政権政党への陳情活動に埋没したりして、気骨も小骨も失ってしまったのか…。
 橋下氏の謀議=大阪府と大阪市の首長ダブル選挙の行方は、府民や市民の振る舞いが注目される。いづれ、遠からず、結果は出ようから。
 人権は、日本国憲法並みに、中央政府から疎んじられて来たように見える。確かに、人権というお題目は、多用されたかもしれないが、魂が入っていない。日本国憲法第9条『戦争放棄』より、(政府に)お題目があるだけ益し、とはいえない。
 実がないのだ。人権の具体化、生存権、参政権、表現の自由、等の場面で、決して発展・進化してはいない。生存権は、云うに及ばず、1票の価値も、議論の進化(情報公開が乏しく)も深化せず、甚だしいのは、例の安倍内閣が強行した、国民投票法だ。最低投票率、最低投票数を回避したのだった。国民は、(多数)参加しなくても良い(存在?)、参政権無視乃至極端に軽視した思想・体質を示している。自民党・安倍政権の。まるで、戦前回帰した、或いはしたいかのよう。
 生存権も、生活保護だけではない、識者言うところの「現憲法がすべての国民に保障している「生存権」を被災地でどう確保するかという議論であり、そのための政策の速やかな実行」という現代的課題での、生存権の具体化だったりする。そうした国民の重大関心事を、脇において、憲法改正を進めたい自民党なのかと思ってしまう今日この頃。
 自民党らは、政権交代を目指したいそうだが、一体何を、どのような国民の利益を訴えて、これを実現しようとするのかと思う。少なくも、鳩山・民主党の場合、旧政権の年金行政(嘘)を糾弾し、『沖縄の基地を国外、最低でも県外移転』と訴えて、国民的期待を勝ち取り、これを果たした。自民党は、何を国民のためにしようとして、政権交代を望むのだろうか、見えない。己たちの私利私欲は見えても。
 ☆ 参 考 ☆
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/269793
 憲法審査会 国民投票法見直しが先だ 西日本新聞 社説 10/23
 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2011102100475&j4
 橋下知事が辞職願提出=大阪市長選出馬、ダブル選に
 http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/back/02-288.html
 『千万人と雖も吾往かん〜平成大合併・矢祭町の選択〜』

※尚、追記
 http://www.citizens-i.org/kenpo/yougo.html
 憲法用語集(市民立憲フォーラム) 
 >公共の福祉 >「公共の福祉」によって人権を制限することが認められるのは、人権と人権の衝突を調整する場合のみであり、単なる「公益」や「公共の安全・秩序」といった抽象的な利益のために人権を制限することはできないとされる。(ただし、…)