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0391 Re: 護憲コラム 流水 2011/10/03 11:31:57
諸事雑感
最近の二つの判決(陸山会事件、外務省機密漏洩事件)をみると日本はいよいよファッシズムに足を踏み入れ始めた感が強い。石川氏をはじめとする小沢一郎の三人の秘書に対する執行猶予付き判決を読むと、あまりの杜撰さに唖然とする。江川詔子さんが「裁判官の頭の中のストーリー」と論じていたが、事実認定なしの裁判官の推測だけの判決に司法の劣化がここまで進んだのか暗澹とした思いにとらわれた。

一方、外務省機密文書公開裁判も密約自体は認定しているが、外務省が廃棄した文書の公開の必要性はない、という門前払い判決。官僚支配に最大限配慮した外務官僚が涙を流して喜ぶ判決である。

民主党が政権交代を果たして以降、日本の政治風景はがらりと一変した。日本を支配している真の勢力(既得権益層)の姿があからさまに国民の目に見え始めた。陸山会事件の判決は何が何でも小沢一郎を葬り去ろうとする既得権益層(官僚・メデイア)の意図が露骨に表れた判決であり、外務省機密文書公開裁判は、「官僚支配」の正当性擁護の意図がありありと読み取れる。

今、国民の眼前で繰り広げられている政治劇は、明治以降連綿と続けられてきた官僚支配(資本の論理と結びついた)を永続的に続けようとする勢力と真の意味での【国民主権】国家へと転換させようとする勢力との凄絶な権力闘争である。

今回の判決は、法の下の平等、罪刑法定主義、法に基づく適正手続き、無罪推定原則、権力の分立など200年以上前のフランス人権宣言に盛り込まれた基本的人権の原則が21世紀の日本でいまだ定着していないことを白日のもとにさらした。大手メデイアはこの原則に基づいた判決批判一つ行わず、彼らが既得権益層擁護の先兵であることを明らかにしている。つまり、現在の日本は、日本国憲法に明記された上記の基本的人権擁護の条項があるにもかかわらず、これらの諸原則が完全に無視されている危機的状況にある。

さらに憂鬱なことがある。島田伸介事件に端的に示されているように、警察の強力な指導のもとに暴力団排除条例が全国で制定されている。これは制定当初から疑問の声が大きかった暴対法施行の結果、暴力団のマフイア化が全国で進み、企業舎弟に代表されるように、一般社会へその正体を隠した暴力団が浸透。その摘発がきわめて困難になった警察が、暴力団との対峙を社会に丸投げしようとしていると推察される。警察庁長官が「警察VS暴力団から社会VS暴力団」への転換を図ると述べていることからも読み取れる。

今回の条例は、暴力団と認知された組織・人間と関係をもった個人・組織はその名を公表され、社会から排除されるという内容。これが完全に実施されたら暴力団員は、通常の社会生活(冠婚葬祭など)をおこなう場所を一切持たないということになる。なぜなら一般国民がその場所などを提供したら、自分自身が社会から排除される。そのリスクを冒してまで、暴力団との関係を持つ国民はごく少数であろうと推察できる。

最初に述べた基本的人権の観点から考えても、今回の条例は疑問の点が多いが、それより何より暴力団のマフイア化がさらに進行し、社会のあらゆる場面でトラブルが増加する危険性が高い。【おれおれ詐欺】に見られるように、暴力団的手法がさらに社会の隅々まで浸透し、それこそ自分の身は自分で守らなければ、わが身の安全も保てない社会が目の前に迫っている。

暴力団員といえども一人の人間であり、生きていかなければならない。人間、生きていく糧を失えば、生きる術を必死に探す。その為には、法を犯すことも辞さない。まして彼らは【アウトロー】であることを自ら選択した人間。一般国民より、法を犯すことに抵抗感は少ないだろう。これが社会にどのような影響を与えるか、想像するだけで慄然とする。警察庁長官の【社会VS暴力団】への転換とはそのことを意味している。

大相撲の八百長事件、芸能人の麻薬汚染、島田伸介事件など一連の事件は、今回の暴力団排除条例制定のキャンペーンである。

さらに問題なのは、暴力団と認定する権限は警察が握っているという点にある。上に書いたように、暴力団と交際した組織・個人の名前は公表されるのだが、当然ながら、これからは暴力団と名乗る人間はほとんどいなくなるだろう。まして一目で暴力団とわかるような姿かたちをしたり、言動をする人間も激減するだろう。マフイア化とはそういう意味。これを暴力団と認定するのは警察。つまり、警察が国民一人一人の生殺与奪の権を握ることになる。

民主党が政権交代を果たして以来、警察・検察・裁判所の不正と堕落の構造がきわめて深刻な状況にあることが国民の目に明らかになりつつある。この警察が国民の生殺与奪の権を握る可能性が高い条例の制定は、一つ間違えば警察国家への道を歩みかねない危険性がある。

何度も書いて恐縮だが、日本における政権交代は、他国における「革命」にあたるというのは、このような巨大な官僚組織をはじめとする既得権益層の支配構造を「国民主権の構造」に転換するということを意味している。

残念ながら、現在、民主党内部の既得権益層の代弁者たち【民主党B】が民主党のヘゲモニーを握っている。政権交代の理念「国民生活が第一」の旗を掲げている【民主党A】のグループは、権力から遠ざけられている。ある意味政治に絶望しかねない状況である。しかし、わたしは、今が【一歩前進、二歩後退】という局面だと考えている。国民一人一人が、もう一度、政権交代の本当の意味を噛み締める時だと思う。