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0390 Re: 護憲コラム 名無しの探偵 2011/09/29 09:39:35
「生存権」の現在

今回のコラムは予定であった「戦争と憲法」を休み、生存権の現在(的意味)を再考します。

周知のように(今は違うかも)日本における生存権の憲法的な問題が長期間に渡って争われたのは二つの訴訟においてであった。
「朝日訴訟」と「堀木訴訟」がそれである。

前者は1960年前後(まだ、戦後的な時代背景にあった)に結核療養所に入院していた朝日茂さんが一年間にパンツ一枚、肌着は2年に一回くらいしか買えず、この生活保護費では到底暮らしていけないと訴えたのが事件の発端である。

しかも、社会福祉事務所は当初、朝日さんが保護費を上げてくれと申し出たので兄に連絡して月1500円の仕送りをさせた。そして仕送り1500円の中から900円を療養費として差し引いて600円を朝日さんに支給したのである。
(これでは朝日さんの訴えは無駄になっている)そこで裁判所に訴えることになった。

この訴訟の経過は後述することにして、後者の堀木訴訟の概要に触れると、原告の堀木文子さんは
全盲の主婦であり、離婚後に子供を引き取り障害年金とマッサージの仕事で暮らしていたところ、
この金額では到底母子二人が暮らしていけないので子供の児童福祉手当てを国に請求したのである。
ところが、国は障害年金と児童福祉手当ての併給は禁止されている(当時の児童福祉法)ので児童福祉手当は出ないという。そこで堀木さんは神戸地裁に訴えたところ、地裁は憲法25条、憲法14条の解釈から併給禁止は違憲であり、児童福祉手当の請求を認める判決を出して堀木さん勝訴の内容であった。

こうした事件の事実があったのであり、前者の
朝日訴訟は最高裁まで争われたが途中で朝日さんが亡くなったので遺族が訴訟を引き継ぐも最高裁は生活保護費の請求は一身専属の権利なので遺族は相続できないので原告敗訴の判決内容であったが、最高裁は念のためと称して「生存権」の解釈に及び、「生存権は国が個人に直接保障するような具体的な権利ではなく、生活保護給付のレベルは国家の経済情勢などの様々な要因に依存せざるをえず、立法行為の裁量権に委ねられている」(趣旨のみ)として裁量行為に著しい逸脱がない限り違憲とはいえないという前の判例を踏襲した。

同様に堀木訴訟も最高裁まで争われたが、朝日訴訟同様国家の立法裁量権の範囲内として併給禁止規定を合憲とした。

憲法の解釈として生存権の規定を国家のプログラムとしての規定に過ぎないとするプログラム規定説、最高裁が依拠したとされる抽象的規定説、それと国は生活保護などを通じて生存権を具体的に
保障するべきだとする具体的保障説が対立し見解が分かれている。
(ここまでで、紙数が尽きたので後半は次回に。)