呼出完了
0385 市民の自由と権利を確保するナショナルセンターを発見しよう 蔵龍隠士 2011/08/29 10:35:58
 この度、東日本大震災と福島原発事故(人災)を経て、原発推進の組織と監視の組織が、やっと分離・独立しそうだ。本来は、アクセルとブレーキの関係、特に人命と人権の確保のための監視機関だったのが、経産省の中に、取り込まれ、省内の人事・昇進制度と相俟って、原発推進!原発神話でっち上げの機関に成り下がっていたのだった。オマケに、国民を欺くヤラセまで共に手を染めてしまっていた。組織論としても、デタラメだった。
 今回、やっと改めようとしている。原発の監視機関を環境省に移そうというのだ。今度こそ、魂も入れて、国民の人権を護り、安全・安心を確保してもらいたい。来年4月が待たれる!危惧しつつ…
 ところで、似たようなことは、法務省にもある。云うまでもないことであるが、人権擁護委員会?に貶められている「人権委員会」のことだ。…聞くところによると、これを組織化する法案が、菅内閣に、用意されているということだが、どうなるのだろう?人権委員会(設置)に、目くじらを立てる向きが多い?とか。ほかならぬ法務省、検察庁、公安委員会・警察…は、多分、嫌がっている(警戒している)のだろうと想像される。…経産省の場合、以上かも?
 役所の思惑は良いとして、我々にとって、市民の自由と権利を確保しようとすることは、当然の思いであり、自由と権利である。冤罪事件も許されないし、国民生活を不自由にする、人権侵害も、事後的に救済する?建前の司法に待つことなく、進んで侵害を予防するため、或いは、侵害を阻止するため、人権委員会の活用はあっていいことだろう。設置は、一応、歓迎できる。但し、われらの監視が欠かせない。例えば、この組織の人材だが、どこから調達するのか?からして見え難い。法務省から、内部異動のようなことにしてしまえば、保安院の二の舞だろう!きっと。
 さて、政府の官僚制、組織として工夫して戴くは、一応、置くとしよう。市民の勝手自由に直ちになりそうにもない…のだから。そこで、市民の側で何か出来ないか、が課題となる。いわば、市民のためのナショナルセンターだ。…
 今現在、「市民の自由と権利を確保するナショナルセンター」と思しき組織は、民間にあるだろうか?勿論、力強いものでなければならないが。昔、あった気がするが…。
 ところが、過去、時の政府の思惑・政策で、そのナショナルセンターと思しきものたちは、次々と、弱体化され、解体されてきた…。例えば、総評はなくなり、国労は解体され、衆議院の3分の1以上を占めた勢力も今はない。自民党政権が、画策したにせよ、相手方の抵抗が稚拙で?成功しなかったにせよ、監視者たる市民・国民もこれに、参加?していた筈だった。我々を護るための、監視や支援は十分だったのだろうか?
 我々は(私は)、今仮に、十分なそのナショナルセンターがないとすれば、今からでも、それを創造し、育てていかなければならないのではないかと思う。弁護士会が支援してくれても良いし、特に虐げられている派遣労働者の組織が参加してくれても良い。或いはまた、総評なき今、自治労や日教組が参加・支援してくれても良いだろう。無論、一般市民?も当然参加が望ましい。大勢が一致団結乃至連携、手を携える必要がある。我らを護るため、その侵害を監視・抵抗するに、十分なナショナルセンターにするために。
 ところで、最近は、人権及び法の支配を脅かそうとする企てが、目に余る。大阪の橋下氏の企てもそうだし、沖縄県(石垣市等)の教科書採択問題もそうだ。法の支配はあるものの、即時に機能しない(裁判に時間が掛かる、人も金も…)ことをいいことに、違憲乃至違法行為を、権力的に、税金を使って、ガリガリやって来ている。大阪では、抵抗勢力の活動のニュースすら、あるのかないのか。一人、教育長の反対意見あるのみ。彼を一人、潰して良いのかと案じられる。
 今でも、市民の人権と平和希求を嫌う、反動一派が、改憲を狙ったりして、人権を阻害し、奪おうとしている。そして、日本の最高法規=日本国憲法下の法と秩序に、挑戦しようとしているが、許してはならないこと、勿論である。
 その意味からも、力強い、我々のためのナショナルセンターの発見乃至創造は、我々の焦眉の急ではなかろうか。そのためには、仕掛けに惑わされず、我々も目先のことで、判断するのみではなく、将来を見据えた育てるという投資が、忍耐と寛容が必要ではないかと思う。
(愚考)