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0380 蜜蜂倫理は止めよう 鈴木建三 2011/07/26 00:10:08
  これはだいぶ前のことになるが、パンドラさんのグループの方のお話を伺ったときの話である。
 その内容は某紙の記者のコラムの批判で、私はその方のご意見に大体賛成であるが、そのときに考えたことをここに少し述べておきたい。
 というのは、その記者の口調がいかにも外国のインテリさんと親しく、ご自分もその仲間のような口ぶりだったこと自体に、私はどうもいただけない気がしたからである。

 その記者は、日本人の平和主義が西洋のインテリたちから大変甘いものだと考えられていることを指摘して、彼らはヒットラーのチェコ併合を認めたチェンバレンのミュンヘン会議の宥和政策がどんな悲惨な結果を生み出したか痛切に知るゆえに、日本の戦争拒否の平和主義に批判的であることを述べて、原爆体験から生み出された核アレルギーによる日本の平和主義を一種のアレルギー扱いして、西洋人の批判の側に立つような口振りで、自分も西洋のインテリ並みのインテリみたいなエッセーだったのが、私には問題だった。

 そういうふうにいうなら、西洋人のミュンヘン体験も核アレルギーと大差のないアレルギーであることを、記者は西洋のインテリさんに教えてあげるべきだったのではないか。
 
 原爆体験はそれぐらい大きく貴重なものなのである。

 そしてこれも私のやたら批判的な悪癖のせいなのであろうか、この報告をなさった方の結論のなかにもひとつ気になったことがあった。その方が、日本を独立国家だと考えられているのではないかという点である。
 
 現在の日本は、全国の重要な地点にはすべて、「治外法権」を持ったアメリカ軍が駐留しており、そういうことが起こってはならないが、もし他の外国が攻めてきたら、自衛隊がアメリカ軍の指揮を執るのではなく、アメリカ軍が自衛隊の指揮をとって、アメリカの重要な軍事基地日本を守ろうとすることは自明だからである。そんな状態の国を独立国だというのは無理であろう。
 
 敗戦直後に九条を持つ憲法が出来たとき、この完全非武装の国家が外国の攻撃を受けたらすぐに全面降伏する憲法だと考えて、そういう意味で私は歓迎したのである。その当時は、日本は文化国家として再出発するはずだったのである。

 日本は今、実力でアメリカの軍隊を追い払うことは出来ないけれど、日本の文化の私の好きな部分は守ってゆきたいと思っている。
 国家という人間の作り出した妙な集団のためにその構成員が死ぬのは、一種蜜蜂的な生存方式で、何万人の子孫を生み出すことが出来る女王蜂もいないのに無意味極まりないことだと考えている。 
 
 私にとって貴重なのは、国家ではなくて西行の歌であり、蕪村の詩である。

  願わくば 花の下にて春死なん 
    その如月の望月の頃

  ましてまして 悟る思いはほかならじ
    我が嘆きをば我知るなれば 


 君あしたに去りぬ
 夕べの心ちじになんぞはるかなる
 たんぽぽの黄になずなの白う咲きたる
 見る人ぞなき
  
 (うろ覚えで少しまちがっているかもしれませ  ん、ごめんなさい)