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0378 被災地との距離 笹井明子 2011/07/13 17:03:06
震災・津波・原発事故発生から4ヶ月。テレビや新聞から被災者の姿は影を潜め、原発事故は収束の見通しも立たないまま、「東電さんに頑張ってもらいましょう」と関心の対象から外れようとしている。また、今後の原発の扱いや日本の電力供給のあり方の議論は、政争の具と化して、私たちの間にはウンザリ感が蔓延している。

こうして、3月11日以来続いている大災害は早くも風化し始め、直接被災者とならなかった私たちの暮らしは、放射能汚染に対する不安を抱えつつも、「3.11」以前に戻ろうとしている。

かつて、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故によって、世界的に反原発運動が繰り広げられ、日本にもその輪に加わった人たちがいた。1989年に発行された「超ウルトラ原発子ども」(伊藤書佳著・ジャパンマシニスト)は、10代の若さで原発の持つ本質的な問題を感知し、原発を止めたいと様々な活動をしてきた著者の、『原子力発電所と放射能汚染』の事実解明と『ゲンパツを止める』ための提言の書だ。

これを読むと、今回の福島原発事故以来繰り広げられてきた議論や脱原発運動の多くが、当時既に行われていたことが分かる。しかし、著者の「原発を止めたいと思ってきた自分が、原発事故汚染地域(千葉県在住)の住民になってしまった」という無念の言葉や、ある元東電社員の「従来の運動では、“反原発ブーム”が下火になった後、自分の近くには作ってほしくないが、原発は必要と言う世論が72%という結果が残った」という指摘に見るように、過去の運動では原発も原発事故も止めることはできなかった。

私自身を振り返って見ると、過去に起きた大事故は、自分にとって遠いところの不幸なできごとに過ぎなかった。周辺に住む人たちの悲劇に同情はしたものの、距離の遠さが、問題の深刻さに対する関心を薄れさせていた。何とボンヤリだったのだろうと忸怩たる思いがあるが、恐らく当時日本人の多くの反応は似たようなものだったのではないだろうか。こうして、ことの深刻さを感知した人たちの訴えは、成果を得ることなく萎んでしまったのだと思う。

それから20数年が経ち、私たちの身近なところでまさかの重大事故が起きてしまった。そして事故から4ヶ月がたった今も、事態は改善されるどころか、ことの深刻さが次々に明らかにされ続けている。「一時避難を希望する被災者」と「被災者受け入れを希望する人たち」を繋ぐいくつかの私的サイトには、このところ自主避難希望の登録が急増している。当初早期収束に望みを託して留まり続けていた原発周辺の住民たちも、ついに自分や我が子の命を守るために、やむなく故郷を離れようとし始めている。

原発事故の悲劇は終わっていない。辛すぎる現実はいつ果てるとも知れず続いている。そしてそれは、無関心に逃げ込めるような遠い地の出来事ではない。しかしそれにも拘らず、平時に戻りたがる私たちの性向とある種の無力感が、被災地との心理的距離を生み、問題の希薄化を生じさせているように見える。だが、私たちのこうした反応はある種の人たちに付け入る隙を与え、過去と同じ一過性の運動を経て、全てを元の木阿弥にしてしまう危険性を内包しているのではないだろうか。

もう過ちを繰り返すことはしたくない。今は無力感を噛み締める毎日だけれど、それでも自分達にできることとして、故郷を失い、生活の基盤を破壊され、苦しみ悲しむ人たちに寄り添っていきたい。そして、今の現実を直視しつつ、過去の運動で辿り着けなかった「経済至上主義の論理」克服=脱原発実現のために、息の長い議論と粘り強い運動を、結果を得るまで逃げることなく継続することを、未来に向かって約束したいと思う。