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0374 脱原発への転換 流水 2011/06/13 10:56:37
福島原発事故を当為なしに眺めると、原子力平和利用というのは、人間の思い上がりに過ぎず、全くの幻想だったというのが大方の感想だろう。以前の投稿でも指摘したが、原子力発電の安全性などというのは、物理的環境(実験室環境)内での安全性の検証に過ぎず、多様で苛酷な自然環境での安全性を保証するものではない。

日本で喧伝された「安全性神話」の代表的言説は以下のようなものだ。

・原子炉内の核燃料は、5つの壁によって防がれている。(5つの壁: 燃料ペレット、燃料棒被覆材、圧力容器、格納容器、原子炉建屋)

・安全設計は、3重4重に設計されているので、事故が起こっても、外部に大量の放射能が漏れるような重大事故にはならない。(福島第一の冷却装置4重設計: 通常の冷却装置、代替用冷却装置、緊急用冷却装置、手動ジーゼル発電)

・福島第一原発1〜4号機は旧式の第2世代だが、最近の「第3世代」の設計は、受動冷却システムなどの安全装置を備えている。(受動冷却システム装置があれば、津波の後に福島第一原発を破壊した深刻な過熱をほぼ確実に防げたはずである。)

・高速増殖炉では、災害で電源が遮断されたとしても、冷却材の金属ナトリウムは対流によって自然循環するので炉心融解は起こらない。

普通に読むと、原子力発電所の安全性に疑いはないように思える。ところが、日本の原発の所在地を見てみると、原発が立っている地域の自然環境の苛酷さが一目瞭然である。

参照: http://www.financial-j.net/blog/2011/05/001589.html

わが国の54基(世界第3位)の原発の大半は、直下型地震の脅威にさらされている。(主に活断層によるもの)。経産省安全保安院は、原子力施設周辺、断層342ヶ所と発表した。・・・5月31日付読売新聞。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110531-OYT1T01120.htm?from=main2
http://www4.ocn.ne.jp/~wakasant/news/121/121d.pdf

日本は世界第3位の原発大国だが、米国・フランスとは立地条件等が全く違う事を理解しなければならない。米国は、広大な陸地を保有しており、その中で地震などが比較的少ない場所を選択している。フランスは比較的地震の少ない所で、地震大国日本とは比較にならない。

私たちは、今後の日本のエネルギー政策を考える場合、欧米とは比較にならない地震大国日本に54基に及ぶ原発を立てたという事実を直視する事から始めなければならない。

以前にも指摘したが、日本における原発開発の歴史を振り返れば、如何に原発開発が米国の国益、時の政権・経済界・学者・メディアなどの癒着関係の上に推進されたかが分かる。

過去の自民党政権は、原発開発推進のために原発立地を受け入れる自治体を「交付金」という名の【毒饅頭】を食わせた。福島原発事故後の選挙で原発推進派の首長が数多く当選している。自民党が食わせ続けた【毒饅頭】に身も心も中毒状況に陥った自治体が如何に多いかが良く分かる。

民主党も環境政策推進のためという理屈で総電力需要の50%を原発に頼るという政策を打ち出していた。さらに民主党最大の支持団体の連合も原発推進を容認する方向を打ち出していた。

このように原子力平和利用という大義名分のもと、米国・政府・官僚・電力業界・経済界(経団連)・労働界・学界(御用学者)・メディアなどの野合(癒着)により推進されてきた原発乱立が、如何に危険でほとんど狂気に近いものだったかが、福島原発事故を目の当たりにした今なら理解できる。

広島・長崎の被爆体験から自然発生的に沸き起こった「ノーモア・ヒロシマ」の平和運動と原子力の平和利用という二律背反的命題が共存してきたのが、戦後日本の現状だった。

カタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹が、「日本は二度目の核被害を受けた。一度目は原爆投下、二度目は自らの手で過ちを犯した」と語り、「日本は核ノー」を貫くべきだった」と演説したのは、この二律背反的命題を止揚できなかった日本の現状を率直に認めたものだった。

さらに彼はなぜこのような事態が起こったのかを一言で語った。「効率性」という思想が優先されたからだと。

わたしは以前から「体感速度15kmの教育」を提案している。現実的には、「体感速度30km」程度しか実現できないと思うが、高度成長経済前後から日本の教育は体感速度60km以上の猛スピードで走ってきた。

新幹線と鈍行列車の車窓の景色を思い浮かべてもらえばすぐ分かるが、かっての教育現場は鈍行(それも蒸気機関車)の体感速度を感じ取れる場所だった。ゆっくりと流れる車窓の景色。煙が車内に流れ込み、手も口も顔までも汚れ、石炭をたく匂いが車内に流れ込む。ある意味、快適さも不快さもひっくるめて、如何にも人間的空間だった。教師と生徒との間の濃密な人間関係が醸成できる場所だった。

そういう意味で、教育というものは、お酒の醸造と似ている。ゆっくり寝かせ、ゆっくり発酵させ、お酒が熟成するのを待つ。体感速度60km以上の教育現場では、「ゆっくり待つ」などという余裕はない。お酒で言えば、粗製乱造にならざるを得ない。

大量生産、大量廃棄の産業界の流れにからめとられた教育現場は、効率性優先の粗製乱造型教育に傾斜せざるを得なかった。結果、教育現場は荒廃。非正規社員の急増という産業界に都合のよい労働者を送り出す下請機関になり下がらざるを得なかった。

原発問題は、つまるところ、このような戦後日本社会の象徴であり一つの到達点だった。電機労連が象徴だが、組合運動すら原子力の平和利用という神話に立脚し、そのおこぼれを頂戴する立場に立った。

原子力発電所の最も危険な現場で働く労働者が、その大半が日雇い労働者であり、しかもその労働者を集める下請けの少なくない数が反社会的団体(暴力団)と関係があるという構図だ。これもまた労働界がネグレクトしてきた問題である。原発を巡る労働環境それ自体が日本の労働状況を象徴していた。

この意味から考えれば、「脱原発」を叫ぶ事は、戦後日本社会からの脱却を叫ぶことと同義である。村上春樹流にいえば、【効率性優先】思考からの脱却を図ることであり、教育で言えば、「体感速度15km」の教育環境実現に舵を切ることである。

経済的に言えば、日本のエネルギー政策の大転換を図ることだろう。核燃料サイクル構想は、石油など資源を持たない日本の21世紀生き残りをかけたエネルギー政策だった。しかし、近年の代替エネルギー研究によって、日本が他国の資源に頼らなくとも自立できる可能性が開けている。

たとえば、(1)メタンハイドレード(2)マグネシウムサイクル(3)超伝導送電と超伝導電力貯蔵(4)分散型発電(風力、太陽光、バイオマス発電、燃料電池)及びスマートグリッド、などがある。

菅直人総理の浜岡原発停止の決定は、原発に象徴される戦後体制の脱却などという思想性も理念もない。もともと浜岡原発停止の決定は、経済産業省と中部電力の間で合意されており、海江田大臣が発表し、中部電力がそれを受け入れるというシナリオができていた。

その報告を受けた菅総理が、官邸で発表するという強引なやり方で手柄を横取りした。マスコミ受けを狙ったパフォーマンスに過ぎず、システムそれ自体の変革などという問題意識は無いに等しい。

このように見てくると、今回の福島原発事故は、戦後日本の歩みの一つの終着点であることが視えてくる。同時にそれは戦後日本の制度そのものの終焉を意味している。(擬制の終焉で論じた)

その意味で、東日本大震災、福島原発事故は、政治・経済・教育・社会・個人・家族を含めた人間の生き方(思想)など全てにおいて、文字通り【第二の敗戦】である、と言える。

では、どうしたら良いのか。わたしたちは、マハトマ・ガンジーの説いた【七つの社会的罪】にそのヒントを得る事ができる。

一、理念なき政治
二、労働なき富
三、良心なき快楽
四、人格なき知識(学識)
五、道徳なき商業
六、人間性なき科学
七、献身なき宗教

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1263439242

ガンジーの説いた「七つの罪」は、東日本大震災・福島原発事故を経験した現在の日本の現状そのままだ。わたしたちが、【第二の敗戦】を如何に生き抜くかは、「七つの社会的罪」をいかにして克服するかにかかっていると思う。