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0369 あれから2ヶ月 笹井明子 2011/05/18 11:53:15
福島原発事故から2ヶ月。東電と政府は事故発生直後にメルトダウンが起きていたことを、今ごろになってようやく認めた。
 
事故当初から、取り返しのつかない重大事故が起きていて、放射能汚染は広い範囲に広がっているという情報は、インターネットを通して私たちに伝えられており、私たちはことの深刻さに打ちのめされていた。
 
それでも、自分では何もできない苦しさにもがきながら、日本と世界の英知と、日本人の誠実で生真面目な献身によって、早期収束が実現することに、一縷の望みを託していたのも事実だ。しかし、テレビが日々報じるのは、避難地域の拡大や、空気、食べ物、水の汚染といった情報ばかり。「ただちに人体に影響はない」の言葉が、不吉な未来を語っていた。
 
時は早春。草木が芽吹き、やがて白木蓮、雪柳、水仙、たんぽぽ・・・と花々が次々に優しい姿を現していた。美しい日本の自然を見ながら、「どうか私の故郷を守ってください」と、人間の存在を超えた力に、手を合わせ祈る日々が続いた。
 
この間も福島原発の近隣住民は、東京に暮らす私たちより、ずっと直接的な危機に直面していた。相次ぐ避難勧告や屋内待機の拡大が、そこに暮らす人々を追い詰めていることは明らかだった。
 
東京に桜が咲き始めた頃、「食べ物が届かない、国は私たちを見殺しにする気か」と屋内待機の人たちの悲鳴が伝わってきた。焦燥感に心を揺さぶられた私は、せめて自分にできることとして、母亡き後の実家を被災者に一時避難場所として利用していただこうと心に決めた。
 
受け入れに向けて家の整理や受け入れ登録の手続きを進めていくうちに、自分の中に居座り続けた喪失感や無力感が次第に薄れ、被災地の方たちと一緒に故郷再生に向けた歩みを続けようという決意が生まれた。空しく響いていたスポーツ選手らの「一人じゃない」「一緒に頑張ろう」の言葉に、初めて共感が持てた。

最近になって、テレビや新聞で「あの時原発とその周辺で何が起きていたのか」を振り返る特番や特集が流されている。

東京新聞の「レベル7・第一部『福島原発の一週間』」を見ると、事故当時の東電の狼狽振りや、東電・政府間の相互不信と主導権を巡る攻防、そしてその間にも事態が刻々と悪化していく様子が、時系列で伝わってくる。
 
5月15日放送のNHK ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」(5月20日、5月28日再放送予定)では、現地に入って放射能汚染地図を作り、住民に避難を促した研究者の姿と共に、省庁や行政が責任逃れの姿勢によって自分達の持つ情報を住民救済に使っていない実態も映し出されていた。

そして、今なってメルトダウンの発表。これまでの経緯を見れば、それを受けて事故収束の行程表に多くのメディアが「本当にできるのか」の疑問を表わしていること自体、茶番に見えてくる。
 
原発の危険性を長きに亘り警告し、今回の事故に涙を流して国民にわびた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教授や、放射能汚染地図を作った元放射線医学研究所研究官の木村真三博士、元理化学研究所の岡野眞治博士など、日本には知的誠実さと人々の暮らしへの眼差しを兼ね備えた研究者が沢山いるのも事実だ。
 
「今まで原発で生活させてもらってきた、事故が起きたからって逃げるわけにはいかない」と、事故収束のために、危険を承知で現場に戻っていった東電関連会社の技術者など、痛々しいまでに献身の志を持った若者たちも、日本には多くいる。

しかし、その一方で、そうした知性や誠意を片隅に追いやり、あるいは踏みにじって、自己保身と組織温存のために、情報を隠蔽し、その場限りの取り繕いを重ねて、事態を悪化させながら、恬として恥じない人たちがいる。しかも、そういう人たちが、未だに国の舵取りの中枢に陣取っているという事実は、私を絶望的な気持ちにさせる。
 
「悔しい」・・・。丹精込めて育ててきた田畑を奪われて、幼い子供を育てる生活基盤を失って、涙を流す農家の若者のこの一言は、穏やかに誠実に生きてきた東北の、そして心ある日本の全ての人たちの気持ちだ。
 
新緑が深まり初夏の気配を感じる今、東京の実家を避難場所として利用していただきたいという願いは、未だ叶えられていない。今までの生活を捨てて、美しい故郷を離れる哀しみは、東京を故郷とする私自身が心の底に抱え込んでしまった哀しみを思い起こすまでもなく、充分に理解できる。

今は命を第一に考えて!故郷再生に向けて一緒に歩きましょう!・・・と言いたいけれど、政治も経済もメルトダウンしてしまったこの日本に、再生のチャンスはあるのかと頭を抱えてしまう。

「一人じゃない」・・・確かに。でも「一緒に頑張ろう」って、一体どうやって?