| 「原発事故の人類史上での位置づけ」
福島原発の事故が天災によるものか人災であるのかという問題も大きな意味を持っているがどちらかに整然と区分できないであろう。しかし、天災:地震による津波が引き金になったとしてもそうした天災を想定外だという東電の口実は正解ではないし許容できるものではない。 何が想定外か想定内だ決める基準が存在するわけではないからである。 今回の地震によって引き起こされた原発事故は防ぐことができたかどうかで考えると防ぐことが可能であったと言えれば人災であると判断できると 思う。 原発の立地条件を海岸線に置かないとか他の手段が可能であるとするならば明らかに「防ぐことが 可能であった」と言える。 海岸線にこだわった立地条件は冷却が容易であるというコスト計算に基づいており安価なエネルギー開発の結果だったのではないだろうか。 上記のような結論に行き着くとしてもこれは原子力発電の危険性を棚に上げた個別的な議論にすぎない。 2、問題なのはそもそも原子力発電という電気を 作る発電が今後も必要な発電方法であるかという ことである。 言うまでもなくスリーマイル島原発事故、途轍もない大惨事を引き起こしたチェルノブイリ原発事故を思い出せば原発という電気製造方法が「安全性」を証明できる代物でないことは言うまでもないことであった。 日本政府や電力会社の広告であった「安全性」の 神話は神話性もほとんどあるようでないトッリクに近かったのではないだろうか。 私は原子力に関しては素人(アマチュアでもない)であるので専門的な知見を本稿で述べることはできないが、原子力や原発の人類史上の歴史的な位置と社会学的な意味を語ることはできると思われる。 日本に限らず先進国では科学のことは専門家に任せておけという暗黙の了解が成立しているようであるが、この思想は根本的な間違いを含んでいる。 歴史上、偉大な発明や発見は素人というかアマチュア研究者によって達成されたという事実を無視しているからである。 物理学の歴史上で実験によって電気を最初に作り出したのはファラディ(イギリス)という小学校しか出ていない元製本工であった。彼は後にイギリスのロイヤル科学アカデミーの会長となったが 数式は全く不知であった。 こうした事実は広瀬隆さんの著書(2010年の)で知りえたがファラデイに限らずアマチュアが開拓した分野は多いのである。
ギリシャの遺跡を発掘したシュリーマン、 日本の旧石器時代の遺跡を発掘した相沢さん、 シュリーマンは貿易商人であったし、相沢さんは 行商人であった。
少しわき道にそれたが、原子力発電というものは 人類にとってどういう意味を持つのかが問われる。この問題を解く鍵は科学それ自体からはなかなか解答を見つけにくい。これまでの現代史上では原子力の「平和利用」という表現で決着がつけられてきたからである。 しかしながら、軍事利用とか平和利用とかいう科学者集団の我田引水的な論理に入り込むと原発問題は専門家(もちろん原子力の)に任せておけという誤った回路に道を譲ることになる。 日本での司法制度では陪審制度が没になる(戦前はそうではなかった)のと同じ理屈である。 そもそも原子力の軍事利用とか平和利用とかいう 二項対立的な議論がおかしいのである。 エネルギーそれ自体に軍事的な性格があったり平和的な性格があったりするわけがない。 エネルギーそれ自体の問題を直視することが重要なのである。 原子力を基幹的なエネルギー源として遇するという政府などの立場がこれで大丈夫なのかという根本的な問題をこれまでは避けてきたし、国民も今回の事故が起きるまでは無関心を決め込んだのである。 原子力というエネルギーの途轍もない危険性を 見て見ぬふりであった。 これが20世紀後半の現代史の基本的トーンだったのである。 こうした問題は科学史家や社会学が専門にしていた。哲学の問題ともいえる。彼らが問題を直視してきたともいえる。 私は若いころからこうした科学史の本を読んできた。 その中で一番参考にしているのが坂本賢三という 科学史家の著書であった。 坂本氏の本でいつも参考にしている議論は近現代において人類が大きな問題に逢着することになったことは制御可能性の問題であったという。 とくに人類には制御できない科学の発展の歴史が たどり着いたのだ。 科学技術という表現が適切であるとも。 この制御可能性という論理に一番当てはまるのが 原子力というエネルギーなのではないだろうか。 原子力は原子核の分裂を限りなく繰り返すがそれは核分裂はおのずから分裂を繰り返すプロセスであり、この過程で途方もないエネルギーを放出するが、この過程を容器内で封じ込めて電気を製造するのが原発である。 ところが、この「制御」が本当に難しいので大きな事故になってしまうのである。 そこに今回のような「想像を超えた」地震と津波が加わったのであるから防ぐことは到底不可能だったのである。
最後に結論を言えば原子力をコントロールできるという思想は誤りに近いのである。 かくして、原子力発電は廃棄の方向に向かうというのが人類史上の英知と言えるのではないだろうか。
以上。
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