呼出完了
0363 Re: 護憲コラム 鈴木建三 2011/04/04 18:53:17
 今度の東日本の大災害と福島の原発の問題に触れる前に一言断って置きたいことがある。
 この問題に関してのちょっとした発言で、私は平生非常に物が判っていると思っている六十余歳
の女性から激しく叱られたことがある。それで私は、戦中派の私と戦後生まれの人とでは、この災害への反応がどうしても少し違ってしまうのではないかと思った。
 私が自分を戦中派というのは、物心ついた頃に2.26が起こってはじめて社会というものが意識されはじめ、それから盧溝橋で日中戦争が始まり、私は軍人とナチが大変嫌いだったのに三国同盟の締結、独ソ不可侵条約、平沼首相の辞職、松岡の西欧およびロシアを相手の物凄く間抜けなダンスを見、12月8日の真珠湾攻撃による太平洋戦争の開始、各地での日本軍の何万という「玉砕」(全滅)十万以上の死者を出した東京大空襲、広島、長崎の原爆、やっと天皇の名による終戦の達成、その時の陸軍軍人の宮城占拠といったことや、(負けた後の左翼運動、火炎瓶メーデーなどには触れない)その間の飢餓といったことを一応通過した人間であるということである。
 そういった人間にとっては、今度の大災害も何度目かの大事件であるが、戦後生まれの、全体として右肩上がりの世界にいた人にとっては生まれて初めての大事件であろう。もちろん私にとってもこの事件は大変ショックである。だからこそ私は自らの冷静を保つために、こういった過去の経験の中でもっとも敬意を持つ米内光政の、この種の本としては一番秀れていると思う、高田万亀子
氏の伝記を読み直していた。(この本は、戦後生まれの人にきちんと読んで欲しい)
 そういった事情だから、これから私が書くことは戦後派の人からは非情と思われるかもしれないが、やはり私のような年寄りが言っておかなければならないと思うことを、勇気を奮って言うことにする。                                         先ず最初に触れたいことは、、自衛隊の活躍である。日本で現在二十万、四十万という体力のある若者を組織的に使うことができるのは自衛隊だけであろう。そしてこういったことに献身している自衛隊の若者の労苦に対する私の感謝の気持ちは本当である。(活躍している大部分の人が、田母神のような一佐とか一将ではなく、昔風の言い方をすれば一兵卒であろう)しかし、この自衛隊の上層部には、旧陸軍の発想そのままの発言で良識ある人々の顰蹙を買った田母神の発言を忘れさせ、自衛隊の存在を肯定的に感じる人が多くなる絶好の機会だという意識があったろうことは疑いを入れない。  
 しかし忘れてはならないことは、今度のことは武装集団としての自衛隊の本務ではなく、自衛隊が多額の税金を乱費している武器は一切使っていないことである。アメリカ軍のサービスは、日本での人気増大の面が強いであろう。こういった仕事で自衛隊員に万一犠牲者が出れば、それは本当に悲しいしすごい犠牲だと思うが、自衛隊員が人殺しに行って死んでも少しも名誉だと思わない。       
 現在の自衛隊の貢献が逆に示すことは、武器などは持たない完全な災害救助隊としてこの人々を日本の各地に配備すれば、津波が来た時もっと早く救助に乗り出せたかもしれないということである。国民の役に立つためには、人殺しの武器は要らないのである。もちろんいやらしい人間性にとっては、近隣諸国を仮想敵にして訓練に励む方が、士気は維持しやすいであろうが。             、
 次に、人間がその上でせいぜい百年ぐらいいるつもりの自然という世界は、人間より物凄く強大な力をもっているものだということである。私は人間がもう少し謙虚になった方がいいと思う。これは、東北の浜辺に住む人たちが謙虚でないというのではない。その人々の行動や言動を見る限り東京近辺に暮らすわれわれよりはるかに謙虚だし、物凄く心優しい人々が多い。
 しかし、日本人、そして世界の人々は、生きることに、そして自分の力に関して、もう少し謙虚になった方がいいのではないか。この災害で亡くなった人々のことを考えると本当に悲しい。しかし、いかに哀悼の言辞を弄しても死者は帰ってこない。                    ここで当然次に考えなければならないのは、半分以上人災である福島原発の問題である。人間が自然にたいして高を括って、一度壊れたら物凄い有毒物を発生し続ける機械をやたら作ることの傲慢さが認められないのはもちろんである。しかしこれを東電や政府への非難によって自己完結してはならない。もちろん、東電の儲け主義も政府の政策もこれに預かって力があろう。しかしこれは日本の経済全体、日本のひたすら強大化を図る資本主義の問題である。
 そして現在、資本主義に対抗する社会主義もいわゆる富の増大化を(個人のではないにしても)図る以上、私はあまり望みを託さない。本来、資源の少ない東海の小さな島国が世界二位の経済大国だったり新自由主義とかグローバリズムという猛烈な資本主義国になる必要はない。現在程度の富を人々が等しく分かち合えばいいのである。われわれは今までのように、企業家という成金をやたら賛美するような自己肥大化を図るのではなく、もう少し違った価値を見つけ出すべきであろう。今の日本の男女に独身が多いのも、地球上の動物としてはあまり好ましいことではない。この辺でもう少しそういったことに価値を置きたい。 
  最後に、この乱暴なエッセイを終わるに当たってわたしのいいたいことは、日本という社会は日の丸、君が代に忠誠を尽くす社会ではなく、日の丸、君が代が国民に忠誠を尽くすべきであり、日の丸、君が代の側にある官僚、財界はそのことを銘記して、それを己の使命だと思うべきだということである。この大きな災害を契機に日本社会がその方向に変わることを願っている。
        、