呼出完了
0356 泥船化した民主党政権:今こそ民主主義の本質の理解が必要 流水 2011/02/28 09:15:40
菅民主党政権の行き詰まりは誰の目にも明らかである。大局的に見るならば、民主党政権の革命的本質を変質させ、似ても似つかぬ方向へ導こうという反革命的性格が誰の目にも明らかになった。

菅政権は、革命政権に潜り込んだトロイの木馬であり、その政権の本質は民主主義とは程遠いファッシヨ的性格にある。菅政権の行き詰まりは、裏切り、騙しを何とも思わない政権の本質から見て当然と言える。

実は、菅政権のような政権が民主主義の衣をまとって成立するのは、ある意味やむをえないところがある。優れた洞察力を持つ下のブログを読んでもらえればよく理解できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代民主主義国家の本質を考えると、以下の「A」と「B」の矛盾した性質」が併存していることが理解できる。

[A]=民主主義国家における多数決原理には、それが或るグループの他のグループに対する支配の手段となり易いという現実が絶えずつき纏う(これは、例えば1930年代の自由都市(国家)ダンツィヒにおけるドイツ系あるいはポーランド系市民の場合のように、立場が変われば絶えず逆に作用する)。そして、この一方からの現実が過剰になると特定グループの利益だけが追求されることになり、国家・社会の構成バランスが崩壊する。

[B]=多数決原理に従う民主主義国家では、一定の理念に基づく社会秩序を確立して、その歴史的・民族的な意味での出自を問わず、全ての国民にとって公平な公共の福祉と安全を目指すという役割が常に求められている。

つまり、国民の一般意志(意識)が、これら二つの矛盾した性質(ベクトル)の並存がもたらす現実社会のマグマ(矛盾・葛藤・抗争の坩堝)の真の意味を自覚できなくなることが民主主義国家の重大な危機なのだ。言い換えれば、それは国民一般における批判精神の不在という現象であり、本来であればそれを率先垂範すべきジャーナリズムの不在ということでもある。そして、そのような時にこそ国民一般は真の自由を失い、姿を現さぬ<実効権力>が陰で嘲り嗤うことになるのだ。そして、今の日本は正にこのような意味で非常に深刻な危機に嵌った懸念がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『toxandoria の日記、アートと社会』
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20101021

例えば、現在の菅民主党政権の小沢系グループに対する仕打ちを見れば、彼らが「多数決はあるグループが他のグループを支配する手段」として民主主義を意識している事が良く分かる。メディアもそれが当然と言う論調を展開する。(例えば、小沢党員資格停止の決定の場で小沢一郎が提出した様々な質問を全く黙殺。結論ありきの儀式の場に変容させた事に対する疑問を提示した大手メディアは皆無。)

このような形式民主主義が跋扈し始めると、彼らは反対意見や少数意見の背後に潜む危機の本質に目を塞がざるを得なくなる。民主党政権の危機の本質は、ここにある。

例えば、先の衆院選や鳩山政権当時は、民主党選出の新人議員は、それこそ辻立ちを頻繁に行っていた。ところが、菅政権・岡田幹事長体制になってからその姿がめっきり減った。これは、民主主義を多数決・形式民主主義と考える執行部の姿勢が大きく影響している。

このような姿勢を取る民主党執行部に対する、本質的批判を忘れたメディアを持つ国民も、批判精神を喪失し、ブログの筆者の指摘する現実社会のマグマ(矛盾・葛藤・抗争など)の真の意味を自覚できなくなるのは、、当然と言う事になる。

実は、現在民主党内部で繰り広げられている権力闘争は、世界史的には冷戦後の世界秩序(パックスアメリカーナ)の崩壊とそれに伴う多極化(※あるいは無極化)し始めている世界史的潮流の一環として位置づけられる。

さらにこれは、「民主党内権力簒奪一派(菅・松下政経塾一派)+メディア+経団連など大手資本+米国資本などの米国隷従+新自由主義的改革一派」と「国民生活第一と民族自立派」の闘争である。

先の民主党代表選前にも書いたが、民主党内の権力闘争という政局的視点に矮小化すると本質を見失う。問題の本質は、21世紀日本の生き方に対する深刻な路線闘争にある。現実社会のマグマは、その本質から吹き出てくるものに過ぎない。

何度も書くが、政権交代の本質は、既得権益層を打倒し、21世紀日本の展望を開くという革命的性格にある。これを忘れ、小手先の対策に右往左往する反革命的菅政権に未来はない。一日も早く総辞職する事を望む。