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0355 信なくば〜 百山 2011/02/21 10:30:38
そんなにコロコロ総理が代わっては、対外的な見地からしても国益に反し、如何なものかの声はある。
 しかし、長期安定を誇った政権も、終って後の歴史的検証ではとんだ食わせものでしたの内幕・秘話にゲンナリということも少なからずのこの世界、コロコロも必要があればやむを得ぬこと。
 何はどうあれ「コロコロ」を、延命のための護身符に使われては、主権者国民が泣くとしたものだろう。

 神・現人神の僕(しもべ)として授かった命という、今にして思えば、滑稽極まりない「刷り込み」を、唯々諾々と押し戴いて生きた赤子(せきし)の時代から、急転直下、主権者様に成り変わって既に半世紀以上、この国は、本当に自分たちの責任で作り上げる国に、生まれ変わったのだろうか。

 最後とすべきあの戦争を終えてから生を受けた人たちも、もう続々と社会の第一線から退き始めている。あの敗戦を経験して一足早くその道を辿った人々共々、歩み来た道を振返り見れば、積み上げ来たものの頼りなさに、思わず放心の思いに襲われるのではなかろうか。
 人々は、共助・共生 の輪の中で和んでいるか。後ろから歩を進め来る人たちの心を、穏やかにたおやかにと導き来たか。
 その根本を担うべきを託す政治は、好ましき方向を目指して揺るぐことなくその質の向上に努めてきたか。

 政官財の抜き差しならぬ癒着。鉄のごときトライアングルを成しての利権追求は、少子高齢化という社会構造の変化の前に様々な歪を顕わにし始め、それに適応できずにいる政治・行政に対する憤りは、国民生活が第一・政治主導を掲げた政党を、圧倒的多数で初めての衆議院第一党に押し上げた。
 政治は、政治に主導される行政は、時代の変化に即応すべく変わり始めたか。答えは否、いや変えようにも変えられぬ何ものかに抑え込まれているような根の深さを思い知らされたとでも言うべきなのであろうか。

 ほとんどを一党が独占して築き上げてきた各般に亘る仕組みは、固定化・硬直化して容易に変更を受け付けぬ。米軍基地の国外移転一つすら成せぬ。民主主義社会維持を担保する選挙制度や議会制度の現実的不具合一つも正せぬ。共助・共生の輪などなどへの期待は、遠くかすんで、輪郭すら見えぬ。

 政治は変わり得るのか。人々は政治を変え得るのか。これは鶏と卵との関係のような戯言めいたことではない。
 先ずは政治の場に立とうとする人から、変わらねばならぬ。その場に立とうとする人は、凡庸ではないはずである。大多数の幸福のために、私を捨つるの覚悟の人である。並みの人では、困るのである。
 いま、政権党にあって、要職にある人たち全ては、このような人たちの中から選ばれた、最上級の人たちだと思いたい。
 勇将の下に弱卒なしとも言う。しかし、勇将だけでは困るのである。智将であり、その下に居並ぶは選りすぐりの明哲。だが、果たしてそうなのだろうか。

 支持率が20%を切るかどうかという状態にあるということは、その名を書き記し支持した人はいざ知らず、大多数のその他大勢は、不適任との判断を下しているということである。
 示されたその判断を前に置きながら、非凡・明哲を最も求められる地位のその人は言う。「歴史の大転換期、大いなる変革の成案を得て、信を問う」と。
 なんたる凡庸。変革は、それが大きければ大きいほど、多くの支持あってこそ達成されるという理すら思い浮かばぬかの言動に、捧げる言葉はただ一つ。信なくば立たず。