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0346 個人、家族、社会、国家、世界 流水 2010/12/27-09:50:10
毎日新聞がスポーツ欄で特集している日本ラグビーの強化策は注目に値する。以下、この記事を下敷きに私なりに忖度して書いてみる。

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日本ラグビー協会は、2016年、20年の夏季五輪の男女七人制採用。19年ワールドカップ日本開催決定を受けて、本番の中心選手になる高校選手強化に乗り出した。

この強化方針は、きわめて興味深いもので、スポーツ界はもとより、日本の地盤沈下が深刻になっている教育、政治などあらゆる分野に適用できる画期的な内容を含んでいる。

まず、日本協会は、選手育成の第一歩として、指導者育成に乗り出し、地域差が顕著な指導法の体系化に乗り出している。中竹CD(CHIEF DIRECTOR)の狙いは、まず指導者が自己解決力を養う事にある。

少しでも、スポーツ指導の経験のある人は誰でも理解できるが、同じ技術指導をしても、指導者によって伝える言葉、方法が違い、バラツキができ、結果として、大きなチーム力の差ができる。まずい事に、間違った指導を受けた子供は、それが身についてしまい、矯正するには倍以上の時間ロスができる。一流選手と同等な才能や素質を持ちながら、それを発揮できずに消えていった選手の数は数知れない。

中竹CDの狙いは、まず指導者の自覚と自己解決力を養う事により、自らの指導法、言葉の練磨を促す事に狙いがある。選手層の薄いラグビー競技では、一人一人の選手の才能や素質を無駄に浪費させる余裕はない。ラグビー選手一人一人の能力を如何に効率よく最大限に発揮させるかに、日本ラグビーの存亡がかかっている。

そのためには、日本ラグビー協会それ自体が、明確な理念、戦略目標、方法論を持たなければならない。

日本ラグビー協会は、今年から【日本人にできること】の根源を探ることに取り組んでいる。

ラグビー競技は、体格、腕力など基礎体力が大きく物を言う競技。残念ながら、日本選手は基礎体力(フィジカル)では、外人選手に勝てない。身体が大きく、腕力が強い外国選手たちと対等以上に戦うにはどうしたら良いか。

NHKで今放映されている「坂の上の雲」の秋山真之が全身全霊を打ち込んだのも、実はこれと同じで、「基礎体力」で決定的に勝る相手にどうやって勝つか、という一点に絞られる。秋山真之は、瀬戸内の海賊の戦法にヒントを得た。

では日本ラグビー協会は、何にヒントを得たのか。それは、企業の「戦略立案」に用いられる【SWOT分析】である。(1)

(1)SWOT分析(-ぶんせき、SWOT analysis)とは、目標を達成するために意思決定を必要としている組織や個人の、プロジェクトやベンチャービジネスなどにおける、強み (Strengths)、弱み (Weaknesses)、機会(Opportunities)、脅威 (Threats) を評価するのに用いられる戦略計画ツールの一つ。組織や個人の内外の市場環境を監視、分析している。・・ウイキペデイア

もう少し解説すると、

●強み:目標達成に貢献する組織(個人)の特質。
●弱み:目標達成の障害となる組織(個人)の特質。
●機会:目標達成に貢献する外部の特質。
●脅威:目標達成の障害となる外部の特質。

この分析を徹底して行い、日本が世界に伍して戦えるスタイルを創出した。それが、【4H】である。

【4H】とは。

1、「速く」2、「低く」3、「激しく」4、「走り勝つ」の頭文字を取った造語。「速く」というのは、日本選手の特徴そのもの。器用で俊敏性に優れた日本選手の特徴を活かそうというもの。さらに言えば、腕力や体格に優れた外国人選手の圧力をまともに受けない事を意味する。

「低く」というのは、タックルするにしても、外国人選手は、上半身の力が強く、腰から上にタックルしても簡単には倒れない。ところが、腰から下の足にタックルすれば、体格に優れた外人選手も倒れざるを得ない。つまり、外人選手を倒すには、足を狙った低いタックルが欠かせない。つまり、相手の弱点を徹底的に狙え、という戦略に基づいている。しかし、「低い」タックルをするには、大変な勇気がいる。この「勇気」こそ、日本が世界に伍して戦う最重要ファクターになる。

それが、三番目の「激しく」に凝縮されている。ラグビーは格闘技である。格闘を制するのは、最後までギブアップしない気力。「勇気」を持って最後までギブアップしない気力をみなぎらせろ。それなくして、世界と戦う事はできない、というメッセージが込められている。

「走り勝つ」というのは、一つは俊敏性で相手に勝て、というメッセージと、ラグビーは前後半80分の長丁場。これを戦うには、長距離ランナーと同じスタミナを必要とする。前半と後半を同じスピードで走りきれるスタミナを持てば、相手より優位に立てる事は間違いない。マラソン選手に肥満児を見た事がない、と言う事は、体格が大きく、体重の重い選手は、それだけ大きなエネルギーを使うから、肥満児は走れない。つまり、体格に劣る日本選手は、走って走って走りまくって外国選手を疲れさせ、最後に「走り勝って」勝利するという戦略を意味している。

中竹CDの言を借りれば、代表選手は、【4H】は、基本。これが出来ない選手は、代表になれない。この基本の【4H】の上に、代表監督の戦略・戦術が乗る、と言う事になる。・・・・

21世紀日本を考える場合、この至極当たり前に見える考え方が、きわめて大きなヒントを与えてくれる。「坂の上の雲」の司馬史観には多少違和感が残るが、秋山真之の発想法には共感する。明治と言う時代のせいだけではなく、徹底的に合理性を追求するその情熱が「兵士」の命を大切にする、という人間的情熱に支えられていた、という点にである。「無能な指揮官は、人殺しである」という秋山の言葉は、その事を如実に物語っている。

秋山の戦略と言い、中竹CDの戦略と言い、日本の長所、短所、彼我の差、諸外国の現状、力量、長所、短所の徹底的な分析の上に構築されている。さらに日本の強みを発揮できない国際的ありようにまで分析が及んでいる。この分析に、ほんの少しの私情が差し挟まれてもならない。冷徹な分析と私情を排した戦略の構築の上に初めて日露会戦の奇跡があった。

日本沈没が叫ばれ始めて久しい。戦後の日本は国家戦略などなきに等しい。「経済」による日本復興はある程度達成できたが、一体どのような理念を体現した国家として日本はあったのか、あるべきなのか、という国家のレーゾンデートルの不透明さが、戦後日本の根源にあった。

実は、戦後日本の国家としての理念は、「日本国憲法」に明確に記されている。「国民主権」「平和国家」「基本的人権の尊重」の三原則の具現化こそが、戦後日本国家の目指すべき「あるべき国家像」に他ならなかった。

この三原則、なかんづく「平和国家」の具現化こそが、他国にはない日本の国家の強みだった。「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にして起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山真男)

丸山の言う「平和の道徳的優越性」こそが戦後日本のレーゾンデートルになるべきだったが、戦後の自民党政権は「道徳的優越性」などという理念的目標などには興味なく、結局なしくずしの防衛力整備に狂奔し、現在に至っている。

歴史に「もし」はないが、「平和国家建設という他国にない道徳的優位性」を持つためには、一体日本と言う国家はどうあるべきか、外交はどうあるべきか、という明確な国家目標具現化の努力を行っていたら、現在の日本の姿は大きく変わっていたであろう。同時に日本国民も、自らの「内なる戦争責任」をもっともっと追及すべきだった。

坂口安吾が「堕落論」で展開した「日本人はもっともっと堕ちろ」という主張は、「平和の道徳的優位性」を自らの皮膚感覚にまで沁みこませろ、という主張に他ならない。それは石川淳が「焼け跡のイエス」で追及した堕ち切った存在こそが、神に転化するというパラドクスであるかも知れない。

戦後60年、日本人は本当の意味で戦争責任を追及しそこなっただけでなく、自らの内部での「戦争と平和」の問題を思想化できなかった。そのつけを、現在支払わらされている。小泉純一郎が強行した何の大義もない「イラク派兵」の戦争責任を追及できないだけでなく、今や小泉以上の対米隷属主義者でネオコンの前原外相がメデイアで次の宰相候補としてもてはやされる始末である。小泉以来、メデイアの堕落は目を覆わんばかり。もはや、大手メデイアは、ただのプロパンガンダ機関と化した。

本澤二郎というジャーナリストがいる。彼のブログ「日本の風景」http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51697803.htmlで「<混迷と利権争奪時代><財閥大統領の挑発><小沢排除の大野望><大連立への暴走><平和憲法破壊が狙い>と題された一文がある。現在の日本の置かれた状況を的確に指摘している。以下、彼の諸論を私なりの解釈で紹介してみる。・・・・・・・・

天安丸沈没事件、尖閣沖漁船拿捕事件に始まる一連の騒動、北朝鮮の砲撃事件に始まる朝鮮半島の緊張、これら一連の事件に最も熱心なのは、ワシントンとソール、それと東京だろう。国連での北朝鮮非難決議は、中国の強硬な反対で流れたようだが、相手は金体制というきわめて特異な独裁国家であり、危険きわまりない。この緊張関係を裏で画策しているのは、軍産複合体・財閥政権者ではないかと思えて仕方がない。緊張・混迷下の利権争奪戦争とも言えるかも知れない。本当かどうかは知らないが、韓国軍に日本の基地を使わせろ、という要求が米国から出されているという。

もし、南北が戦うならば、最も被害を受けるのは半島の住民。問題は韓国で、もし韓国内の原発が攻撃を受けたとすると、その被害はどれだけのものになるか想像もつかない。当然ながら、日本も蚊帳の外ではない。日本国内の原発が攻撃を受ければ、一体どれだけの被害が出るのか、想像するのも恐ろしい。つまり、国内に核施設を多数保有する国家は、自国の核施設が絶対攻撃されないという保証がない限り、戦争などできるはずがない。そこまで計算しつくさねば、戦争などできるはずがない。

韓国の李大統領は財閥出身、彼に国内の核施設が攻撃され、どのような地獄絵図が展開されるのかという想像力があるのかどうか疑わしい。日本の菅政権は、松下政権塾のネオコンが主流。彼らもまた財閥政権と断定して過言ではない。沖縄の米軍基地増強、自衛隊増強など米国ネオコンの中国戦略に沿った政策を強行している。彼らがどう強弁しようと、過去の自民党政権顔負けの極右政策に舵を切っている。

このような状況の中で、民主党内では「小沢一郎」をターゲットにした政局が進行している。まるで実態のない「政治とカネ」という空疎な念仏を呪文のように唱え、やれ「政治倫理審査会」だ「証人喚問」だと騒いでいるが、その狙いは、朝鮮半島危機や米国の対中国戦略の先兵として日本を組み込もうと言うきわめて危険な道を選択しているのを国民の目から隠ぺいするためであろう。

さらに今回の政局の裏に読売新聞渡辺会長の影がある。渡辺の背後にはかの大勲位の匂いがする。ナベツネが菅直人と面会した後、今回の小沢一郎政倫審喚問問題が浮上した。彼らの狙いはただ一つ。自民党や右翼小政党を巻き込んだ右翼大連立だろう。・・・・・・・

私が民主党代表選前から予測していた「ファッショ政権」の樹立である。その結果がどうなるか。まず、憲法9条破壊を意味する憲法改正であり、次に消費税をはじめとする大増税路線への転換、年金・医療介護の大幅切り捨て。格差社会から格差固定の階級社会への変貌だろう。松下政経塾出身者に支えられた菅政権は、その露払いに過ぎない。さらに言えば、さらなる対米従属への傾斜だろう。

NHK「日米安保50年」でリチャード・アーミテージ氏は、「日米関係は別れることができない結婚」と語っていた。彼は同時に2020年めでの日本改造計画を書いている。日本が米軍支配下で完全な属国化する計画である。・・ガバン・マコーマック著「属国〜米国の抱擁とアジアでの孤立」・

民主党政権樹立以来、何としても既得権益を守ろうとする勢力とメデイアが組んで行った徹底的な民主党攻撃(※小沢一郎をターゲット)は、民主党内の裏切り勢力(菅・仙石・前原一派などの松下政権塾)を取り込むことにより、「政権交代」の革命的意義を簒奪。悲願である「戦前の天皇制国家主義」国家への先祖がえりを成就しようとしている。小沢政倫審議決問題は、この為の環境づくりに過ぎない。大連立とは、まさに戦前型「天皇制国家主義」への転換を意味している。同時にそれは米国軍産複合体が意図している日本の従属化への更なる傾斜である。

このように見てくると、戦後日本が意図的にネグレクトしてきた「日本や日本人は何を持って世界の中で生きるのか」という哲学的・理念的思索の浅さが、現在の危機的状況を招いたことは明らかである。

ここで、日本ラグビー協会が実践しようとしている強化方針をもう一度よく見てほしい。まず、【日本人にできること】の根源を探ることに取り組み、その分析結果から、4Hという日本独自の強化戦略を生み出した。1、「速く」2、「低く」3、「激しく」4、「走り勝つ」という戦略目標は、一見単純に見えるが、実に深く考え抜かれた目標である。

宗教であれ、政治であれ、学校であれ、クラブであれ、組織であれ、人を本当に動かす事ができる理念・目標は簡単でなければならない。様々な複雑な要因を削りに削って一滴のエキスに絞った理念、目標こそが、本当の意味で人を動かす。この削りに削る過程で、どれだけ現場主義に徹するかが理念・目標の浸透の深さを決める。換言すれば、現実にどれだけ深く錘を下す事が出来るかが、理念・目標の強さ・深さを決めるのである。

この視点から眺めると、現在の民主党菅政権の理念・戦略は、もはや理念や戦略などという代物ではない。あるのは、権力に対する我執・妄執と保身以外の何者でもない。同じ民主党員という政治的同志を敵方(野党)に売り渡そうというのだから開いた口がふさがらない。

独裁者は人を信用できない、というのは歴史が教える教訓。人を信用できないから、強権を振るう。強権を振るえば、その報復を恐れて、ますます人を信用できなくなる。だから、更なる強権を振るう。この悪循環の中に独裁者は生きざるを得ない。この蟻地獄の中に生きざるを得ないのが独裁者の宿命。

人を裏切った人間もしかり。菅直人が小沢・鳩山を裏切った時から、彼の地獄道は定まった。菅・小沢会談で、菅直人はかなり感情的に小沢を攻め立てたそうだが、彼の目には、パックリと口を開けた暗い奈落の底が見え始めたのだろう。この恐怖が、彼を感情的にし、頑なにし、常軌を逸した行動に走らせているのだろう。

太宰治の小説に【駆け込み訴え】いうのがある。キリストを裏切ったユダの心情を描いた小説。その中でユダはこう叫んでいる。「キリスト、あなたは全て正しい。正しいから裏切ったのです」

菅直人は小沢一郎の顔を見ると、己の卑小さを否応なく感じるのだろう。これが菅直人にとって耐えられないのだと思う。昔の映画の題名に「存在の耐えられない軽さ」というのがあったが、菅直人は小沢一郎を見るたびに「己と言う存在の耐えられない軽さ」を直視できないのだろう。

弱い犬は吠える。彼もまた裏切り者が辿らざるを得ない心理的地獄道を歩み始めた。菅直人もまた「権力のデーモン」に取り憑かれた犠牲者の一人だろう。

わたしたちは、菅直人の運命がどうなろうと知ったことではないが、この政争が、新たなファッシズム政権の誕生になる事だけは阻止しなければならない。その意味で、来年は、日本の運命を決する重大な年になる事だけは間違いない。